こんばんは。日本が寒過ぎて東南アジアが恋しい10maxです。
先日ツイ友さんとの間で、タイ人の英文メールにおける敬称について話題になりました。タイの人々と仕事などでメールを交わすと、彼らは宛名をこんな風に綴ります。
「Dear Khun 10max」
「Khun 10max」
「K. 10max」
この「Khun」というのは、日本で言うところの「●●さん」に当たる敬称ですね。「K.」は「Khun」を略したものです(他にも、親しい間柄や目下に対しては「P. ●●」っていうのもよく使われますね)。読み方としては、「く」と「ん」の間にミリ単位の「h」を入れる、つまり「くふぅん」の「ふ」の部分を2ptくらいの大きさで発音する感じです。まあ、自信がない方は大人しく「くん」と言っておけば大概通じます。はい、筆者のことです。
この「Khun」や「K.」は、筆者もタイ人にメールを送る時には使う事が多いですし、日本人だけでなく香港・シンガポールや欧米の人なども同じようにタイ人の宛名には「Khun」を使っているケースをしばしば見かけるので、割と世界的にも知られているのかも知れません。こういうのを何気なく使って「タイの事、知ってるよ」っていう姿勢を見せてあげることで、コミュニケーションがグッと上手く行く事もあるでしょう。
さて、ここでふと思い当たったことがあるんです。
OLYMPUS E-M1MarkII (40mm, f/4, 1/400 sec, ISO200)
筆者はこれまでにタイだけでなく、ベトナム、マレーシア、インド、香港、シンガポールなどいくつかのアジアの国の人々と仕事をしていますが、概ね皆さん英語風に「Dear」「Mr.」や「Ms.」など世界共通的な敬称を使います。タイの人々のように英文メールの敬称で「Khun」などとお国独自の敬称をそのままアルファベット化して英文メールで使う文化は、筆者が知る限り他に見た事がありません。
そこでふと思い当たりました。いやいやそう言えば他にもあったぞ、と。
「●● san」
はい、お膝元でした(笑)
こちらもタイ人に対する「Khun」と同様に、諸外国の人々は相手が日本人だと分かると、比較的多くのケースで「●● san」を使ってくれます。
なので、仕事でタイ人と日本人のメンバーが複数混じると、タイ人が日本人に対して「●● san」と書くのに対してこちらはタイ人に「K. ●●」と書き、一方タイ人同士では「P. ●●」で呼び合ったりして、「敬称の宝石箱や〜〜〜!」(古語)って感じになります。さらに、タイ人と日本人に加えて第三国の人が混在するメールだと、とんでもない宝石箱になりそうですね(笑)
世界中の事を知ってる訳では無いので他にもそういうのがあるのかも知れませんが、こういうお国独特の敬称が英文でそのまま使われるケースが割と珍しいというのはある程度言えそうで、面白い共通点だな、と思ったのです。
で、ちょっと話は飛ぶんですけど、この「Khun」と「san」以外にもタイと日本ってものすごく共通点が多いよな、って思うんですよね。
OLYMPUS E-M1MarkII (12mm, f/8, 1/640 sec, ISO200)
例えば、タイと日本は過去に一度も植民地支配を受けたことがない、アジアでは数少ない国です。ベトナムは中国による侵略を何度も退け続け、フランスを宗主国とした事もあります。マレーシアやインド、ミャンマーなどはイギリス、オランダ、ポルトガルの植民地としての歴史を持ちます。
また、伝統的な王室を持つというのも共通しています。過去にはアユタヤ王朝やスコータイ王朝など入れ替わりもありましたが、現在のチャクリー王朝は1782年から脈々と続く大変歴史ある王朝です。映画館では上映の前に王室の動画が流れ、観客は全員立ち上がって敬意を表します。日本でも皇室の車が通ると沿道の我々は手を振って見送りますもんね。
あとは、これはアジアではそれほど珍しくはありませんが、仏教が浸透しているというのもあります。国民の90%が仏教徒と言われています(法律では日本同様信仰は自由)。宗派としてはタイは上座部仏教、日本は大乗仏教という違いはありますが、仏陀を尊ぶという基本的な思想は相通じるものがあります。
さらに現代の社会問題についても、都市への人口の集中が激しく地方を中心に高齢化が進み、既に人口が減少傾向になりつつあると言う状況も日本と酷似しており、アジアの中では少数派です。
そんな共通点が関係しているかどうかは分かりませんが、日本との繋がりも非常に強く、タイとは東南アジアの中で最も早い1887年に国交を開始しています。現在でも日本人の在外長期滞在者数は全世界でタイが最も多く、日系企業の進出拠点数でも米、中、印に続いてタイが4位に付けています。
そんな繋がりの深いタイと日本、気づけば国際的なコミュニケーションの場でも「Khun」や「san」と言ったご当地風の敬称が英語化して使われているというのは、何も関係がないようで、何か理由があるんじゃないかな、なんて思ってしまいます。例えば植民地支配を受けてこなかったことが、異国の文化との混合を受けづらい土壌になった(逆に言うと植民地支配の歴史を持つ国は、自らのアイデンティティを出来る限り守りつつも一方でしたたかに外の文化との混合を受け入れてきた)、などと考える事も出来るかも知れません。
いや〜、文化や言葉の歴史って面白い。この手の話は興味が尽きません。
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