ダシャーシュワメード・ガートの鬱陶しくも心地よい喧騒
ダシャーシュワメード・ガートへ上陸。聖なる河ガンガーへ巡礼に訪れた人々への土産物屋が並ぶ。
ブラブラしながら片手間で宿を探そうと思っていたが、次から次へと来るわ来るわゲストハウスの客引きが。そしてさらに、突然筆者の腕をモミモミしてくる輩がいるから何かと思えばマッサージ屋だとか。なんてえ野郎だ。ノーノーノー。
色とりどりの野菜が売られている。こちらは巡礼者向けというより、地元の人々向けのマーケットなのだろう。
一体このオッサンはどうやってこの大量の野菜を運んできたのだろうか。片付けるのも大変そうである。ああ、売れればいいのか。売れると良いね。
子ヤギを連れてガートへ降りていく少年。この子ヤギをどうするのだろうか。「そういえばゴート・カレーなんてあったっけか?」などとついつい不謹慎なことを考えてしまう。
路地 DE バラナシ
モーモー・ストリート。
古本ストリート。日本語の古本を大量に売っている本屋を発見。
ゴチャゴチャ・ストリート(仮)
桃色ストリート(適当)
地獄のオレンジジュース、現る
このオッサンが何を作っているのかお分かりになるだろうか。オレンジジュース?とんでもない。「地獄のオレンジジュース」である。
筆者はこの夕方から高熱と下痢と胃痛に悩まされることになる。そしてその苦痛はカンボジアへ渡ってからも癒えることはなく、ついに旅の終わりまで付きまとうことになるのである。
無論、胃腸薬や解熱剤等は服用したが、熱は5日後くらいにはある程度下がったものの、下痢と胃痛には全く歯が立たなかった。
胃痛で毎晩眠れない。そんな中筆者が眠るために取った手段は、ビールの飲用による眠気の誘引と胃腸のアルコール消毒であった。今思えば、もしかしてこれも回復しなかった要因の一つだったのかもしれない。
もっとも、このオレンジジュースは渇いた喉にとても美味で、この時点ではまさかそのような惨劇の元になろうなどとは予想する術もなかった。
散髪をしている。筆者、まだ元気。
ヒンドゥー教のものらしき壁画が。筆者、まだなんとか元気。ちょっと頭がボーッとしてきた。
町で出会った旅人たちとの晩飯中に、どうにもこうにも意識が朦朧としてきた。これはもしや当たったか?という嫌~な予感(遅)。
旅人たちに失敬し、一人宿へ戻る。足元がフラフラする。早く薬を飲んで寝てしまいたい。
思い起こせば晩飯までの間、口にしたのはあの地獄のオレンジジュースのみ。おそらく、あのオレンジ搾ってた機械、絶対あれだ。あれが不潔だったのに違いない。
バラナシにハマってしまい、沈没するという人の話をよく聞くが、まさかオレンジジュースで沈没することになろうとは思っていもいなかった。やはりバラナシ、侮るべからず、である。
本日のお宿
プジャ・ゲストハウス
本日の出費
お布施:50Rs
早朝ボート:40Rs
朝飯:60Rs
昼飯:70Rs
ネットカフェ:30Rs
地獄の(※)オレンジジュース:20Rs
ビスケット+水:22Rs
計 292Rs (約730円)
[2000年11月24日]
※本連載は西暦2000年のインドバックパック旅の手記を本ブログ向けに起こしたものです。記載内容は当時の手記そのものであるため情報は当時のものであると共に、筆者が学生だった頃の稚拙な文章であることを差し引いてご笑覧頂ければ幸いです。
コメント