さて、旅行記を記していく前に、今回の目的地の一つであるインドの「シッキム州」という場所について、もう少しちゃんと触れておきましょう。
というのも、今回シッキム州を訪れようと思ったのも、この州の成り立ちや特徴があまりにインド離れしていて実に興味深いものだからです。
半世紀前まで存在したチベット仏教国「シッキム王国」
位置的には、「インド最奥秘境」の一つとも言えるシッキム州。コルカタなどの主要都市から国内線で近隣都市まで移動し、更にそこからジープなどを何度か乗り継いでようやく辿り着く事が出来ます。
しかしそこは「ディープなインド」とは無縁の、むしろインドとは程遠い場所でした(であるが故に逆にディープとも言える・・・)。
シッキム王国。
現在のシッキム州の辺りに1642年から1975年までの300年余りの間存在していた独立国家の名前です。Wikipediaによれば建国の経緯は以下の通り。
1642年にチベットがチベット仏教ゲルク派が主導する政権であるダライ・ラマ政権により統一されると、ゲルク派に対立していたチベット仏教ニンマ派の高僧と同派を奉ずるチベット人の一部(のちのブティヤ人)がシッキムの地に亡命し、プンツォ・ナムゲルを擁立して、ヨクサムを首都にシッキム王国(ナムゲル朝)を建国した。
出典:Wikipedia
このように、シッキム王国は、チベット仏教四大宗派のうちのひとつの亡命拠点として建国された、ガチのチベット仏教国でした。なのでそのルーツは、インド側というよりは明らかに北のチベットやお隣のブータンに近いグループに属します。
しかしその後、シッキムを(チベットの延長で)属国と見なす中国との関係や、実質的にシッキムを保護下においたイギリス、イギリスからの独立後それを引き継いだインド、それらの流れの中で労働力として流入したネパール人が人口の過半を占めるなど、政治的に非常に複雑な状況に揉まれ続けます。
そして最終的に少数派のチベット人による王政が国内の不満を抑えきれず、そうした不満を持つ多数派を支援したインドへの併合が、議会や国民投票での賛成多数を経て1975年に実現した形です。
まあ、見るからに面倒なことがありまくりそうな場所ですよね・・・
チベット仏教4大宗派「カルマ・カギュ派」の総本山
シッキム州都のガントク郊外には「ルムテク僧院」という巨大なチベット仏教の僧院があります。このルムテク僧院は、チベット仏教4大宗派の一つ、カルマ・カギュ派の総本山とされます(ラサのツルプ寺という説もあり)。
ルムテク僧院には、カルマ・カギュ派における最高位僧ラマの生まれ変わりとされる「カルマパ」の先代、カルマパ16世の遺灰が収められています。カルマパというのは、ゲルク派で言うところの「ダライ・ラマ」に相当する人物で、チベット仏教ではダライ・ラマなどと並んで高位とされます。
なお、現カルマパ17世は、その人物としての重要性ゆえ様々な政治的配慮・利害が絡み、チベットからインドへ亡命後も、未だに本拠地であるルムテク僧院への訪問が叶っていないそうです。
一方で、ゲルク派のダライ・ラマはシッキムを訪れています。この辺りの宗派の違いによる関係性はよく分かりませんが、やはりこの地がチベット仏教にとって重要な場所だということは、こうした事情からも想像出来ます。

チベット仏教にとってそのような重要な場所、シッキム。チベット自治区のラサや、ダライ・ラマの亡命地のダラムサラは聞いたことがありましたが、シッキムのことは今まで全然知りませんでした・・・。
人も文化もチベット・・・何なら日本ぽい
そうした成り立ちのシッキムなので、町を行く人々の顔立ちや料理などもインドとは一線を画しています。
チベット人は日本人とルーツを同じくするという説もあるため、シッキムの人々の顔はまるで日本人の様。
また料理も、中国の影響もうけたチベット料理なので、カレー三昧のインドとは異なり優しいスープの麺や餃子のモモなど、日本人の口に合うものが多いです。
その辺りは下記の記事でも触れましたが、シッキムの場合はそれに加えて、この後触れる通り所得水準もインド離れしているため、ふとした瞬間に自分が日本に居るかのような錯覚に陥ります。

インド離れした所得水準
さらにシッキムがインド離れしていると感じさせる理由の一つが、州都ガントクの町の綺麗さ。ダージリンからジープでディープな山奥へやって来たはずのに、謎に清潔で洗練された町並みが現れるという・・・まるでインドの中に突如現れたオアシス都市のようです。
SONY ILCE-7C (55mm, f/4, 1/60 sec, ISO500)
人々の服装や持ち物も、インド人よりもだいぶ都会的と言うか、本当に日本人みたいというか・・・不思議な感覚です。
SONY ILCE-7C (67mm, f/4, 1/80 sec, ISO1250)
この辺りの要因として、実はシッキムの貧困率がインドの中でトップクラスで低い・・・言い換えれば平均所得が高いという事情が関係しているようです。
この投稿見て目から鱗😲今来てるシッキム(青丸のとこ)、インドの中で貧困率が最低クラス。貧困率の定義にもよるけど、ガントクの町を歩いていると明らかに生活水準がインド離れしてる感あるもん。 https://t.co/kjyCwLwJMO pic.twitter.com/HjCFyU1PhP
— 10max🇻🇳 | 旅とベトナム (@10max) January 29, 2025
これにはシッキムを併合したインド政府の政治的思惑が絡んでいるようです。シッキムは中国やネパール、ブータンに囲まれた政治・軍事上の要衝です。よってインド政府は「生活環境の安定化=国境防衛の安定」と考え、シッキム州に優遇的に資金を投入しました。特に、教育やインフラ、オーガニック農業や観光などの分野で多額の支援金を投入したようです。
しかもシッキム州は人口約60万人と、インドの中でも最も少ない水準のため、政策が行き届きやすいという側面もあった模様。例えばシッキム州の識字率は80%に近く、インド国内で最高水準。
そう言った塩梅で、国として戦略的に支援を行い、しかも少人数で政策の実行効率が高く、それにより多くの人が高い教育水準をベースとして観光や質の高いオーガニック農業に従事することで高い付加価値を生み・・・とう好循環が回ったのが、シッキム州だった訳です。
ダージリンとの対比も面白い
ところで、前の記事で、シッキムと、そのインド側の玄関口であるダージリンをまとめて「インドらしからぬインド」と書きました。

ダージリンも確かにインドらしからぬ要素を多分に持ち合わせています。しかし、シッキムからダージリンに戻ってきて改めて町を歩くと、
「やっぱりこっちはインドだな」
と思いますね(笑)
ダージリンに戻ってきました。やっぱりダージリンのごちゃごちゃ感は良くも悪くもインドですね🇮🇳
ガントクの運ちゃんに
「Sikkim is not India. Darjeeling is India.」
って言ったら爆笑されたからやっぱりみんなそう思ってるんだな😅 pic.twitter.com/AIYpCQfd0Z— 10max🇻🇳 | 旅とベトナム (@10max) January 30, 2025
なぜそう感じるのか、説明は難しいです・・・チベットやネパールに寄り気味の人種や文化的なものはある程度は共通しているはずなので、そうするとインフラの整備度合いや所得水準、インドに併合されてからの歴史の浅さなどが関係しているのでしょうね。
そういう意味でも、ダージリンとシッキムを両方訪れて比べてみると、シッキムのインド離れ具合をよりドラマチックに感じることが出来るのでおすすめです。
シッキム、行ってみたくなりました?
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