かつて旅は非常に曖昧で、未知と言う名の闇に包まれていた。
旅人にとって外界との繋がりは実に希薄で、目の前で起きている事がこの世界のほぼ全てだった。
例えば物の値段。
かつてそこには正解というものは存在せず、「売る者」と「買う者」との組み合わせによってほぼ無限の宇宙が広がっていた。
先日このような記事を書いていて、思ったものだ。この記事は、Grabというライドシェアサービスにおける、一つの「闇」に灯りを点したものだ。
かつてメータータクシーは交渉制タクシーから曖昧さを排除し、今日、Grabは「売り手」と「買い手」との会話すら無用の長物とした。
上の記事に書かれている内容はまた一つ、旅人から「曖昧さ」を遠ざけた。インターネットの誕生に端を発し、この世界の多くの「闇」が明るみに引っ張り出されることになった。
それと同時に、曖昧な都市伝説よりも「正しい情報と思しきもの」が価値を持つ世界が訪れた。
少し記憶を掘り起こしてみる。その昔、「移動そのものが旅」だった時代の話だ。
ムガル・サライ駅からバスに乗り、ガンジス川にかかる橋のたもとからボートでバラナシの中心部に入るとしよう。橋のたもとでは二人のインド人がボートの客待ちをしている。
果たしてこの男達は信用できるのだろうか。
この価格は適正なのだろうか。
そもそも目的地に辿り着けるのだろうか。
川イルカに喰われるんじゃあなかろうか。
価格など、ある程度まっとうなレンジに収まっていれば納得できたし、謎に包まれた場所に放り出されたなら、その辺りの人に身振り手振りで訊いてみるまでだ。
そして、それが正解だったのかどうかなど分からないまま、旅は続くのだ。
そうした経験談は、旅の伝説として語り継がれる。
本当かどうかなど、どうでも良い。
正しい情報かどうか、でもない。
それはその旅人にとっての財産となり、その旅人の人生を彩るのだ。
僕たちはどう旅するか。
情報が溢れるこの時代、旅の醍醐味とは何だろうか。
一体どのような旅が、私と言う旅人の人生を彩ってくれるのだろうか。
おっといけない、ビアサイゴンの氷が解けてしまう。
ビアサイゴンを追加して、もう少し旅に想いを馳せてみたいと思う。
SONY ILCE-7C (50mm, f/5.6, 1/50 sec, ISO4000)
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