SONY ILCE-7C (50mm, f/1.8, 1/50 sec, ISO320)
歌うように話すベトナム人
この国の人々はまるで歌うように話すものだな。
ベトナムで暮らしているとそう思う事がしばしばある。
ベトナム語の大きな特徴の一つに「声調」がある。
同じ綴りでも発音の上り下りといった調子によって全く意味が異なるというもので、これが一般的にベトナム語の習得を難しいものにすると言われる。
中国語でも「四声」と言い、4種類の発音の仕方が存在するが、ベトナム語ではなんとそれが「六声」(南部では五声)となる。
例えばこんな塩梅だ。
ma 魔 (平板にマー)
mà しかし (「まあまあ」の様に中程度から下降↘)
má ほっぺた (「ええっ!?」の様に急激に上昇↗)
mả 墓 (「あ〜あ」の様に下がって上がる)
mã 馬 (一回切ってまた上がる(ちょっと意味不明))
mạ 苗 (低くドスを効かせて)
一部出典:ベトナムメソッド
この様に声調が違うと全く別の意味になってしまうため、ベトナム人はこれらの6種類の声調を厳密に操って話す。それが実に抑揚に富んでエモーショナルであり、まるで歌っているかの様に聞こえるのだ。
ここでふと、最近の日本の某首相の事を思い出した。コロナの禍中で指導力を発揮しなければならない中で、死んだ魚のような目で平板な棒読みをこれでもかと繰り出し、全く想いが伝わってこないと酷評された人物である。
一方でベトナムでは豊かな声調があるため、そもそも平板で抑揚のない喋り方などしたくても出来ないので、実に感情豊かに聞こえる。
言葉に曲を乗せた「歌」というものが人類が生み出した最も人間らしい感情伝達手法の一つだとすると、多彩な声調を駆使して感情豊かに意思を伝えるベトナム語は、まさに歌うように聞こえるのだ。
氷一つ頼めなかった
ベトナムで最初にこの声調の壁にぶつかったのは今から10年ほど前、初めてのベトナム出張でハノイの路地沿いの食堂でビールを飲んでいた時の事である。
ベトナムではビールを飲む際にはグラスに氷を入れて飲む事になっている。ローカル食堂などでは冷蔵設備が整っていない事が多いため、クーラーボックスなどに大量の氷を用意しておき、ビールが注文されるとそこから氷を出して来てグラスに突っ込む、という塩梅である。最近は冷えた缶ビールが出てくることも増えたが、それでも氷は大体出てくる。
そんな中、筆者は氷のお代わりをしたくなった。しかし当然のごとく英語など通じない。
そこでGoogle翻訳に助けを請い、ベトナム語で氷を意味する「đá」という文字を頼りに
「ダー」
と言ってみたが、店員氏は一向に意図を汲んでくれない。
グラスを高々と掲げ、
「ダー!」
「ダァーーー!!」
「ダッダッダーーーー!!!」
などと無駄に多彩なバリエーションを繰り出してみたが、それでも通じない。
その時は仕方なく諦めてGoogle翻訳の画面を見せて事なきを得たのだが、これはまさに声調の問題だったのだ。
ベトナム語で「ダー」に近しい言葉がいくつかあるが、声調によって下記の如き様々な意味を持つ。
đa
多い (おおい )đà
弾み (はずみ )、勢い (いきおい )、輝き (かがやき )đá
氷 (こおり )、蹴る (ける )、岩 (いわ )、固い (かたい )、石 (いし)đả
打つ (うつ )đã
すでに~した (すでに~した )※なおベトナム語では「d」は「ヤ行」(北部ではザ行)であり、英語発音に近い「ダ行」は一本線の入った「đ」を使う
出典:スケッチトラベルベトナム
つまり筆者は、空になったビールグラスを掲げながら
「多い!!」
だの
「輝き!!」
だの
「既にした!!」
などという意味不明な事を叫ぶ実に怪しい人物に映っていた可能性があるのだ。
空のグラスなのに「多い」とは全くもって奇怪な主張である。
さらに、空のグラスを掲げて「既にした!」などと叫ぼうものなら「もう飲み終わったぞすごいだろ!」と自慢する超ダサい男だと思われたかも知れない。
さて、程なくしてベトナム語では声調が非常に重要だということを知り、
「đá」
というのは
「ダァアッ↗」
とアホのごとく口を開けつつ語尾を上げることで初めて「氷」を意味するという真実に辿り着いた。
それ以降は、氷の追加を頼むのに苦労したことは一度もない。ビール天国のベトナムにおいて氷入りのビールを自由自在に頼めない事ほど残念なことはない。
筆者はベトナム語の声調の重要性を知るとともに、この国で暮らす上で自由になるための翼を一つ手に入れたのだ。
ベトナム語の道は遠くとも歌ってみようか
ベトナム駐在生活ももうすぐ2ヶ月になろうとしているが、今の所本格的にベトナム語を学ぶ事は考えていない。それでも単語レベルでは日常生活の中でどうしてもいくつかのベトナム語を覚える必要が出てくる。
幸いベトナム語は近代に入り「クォックグー(かつての漢字表記では「国語」)」と呼ばれる表記方法になり、アルファベットに声調記号が付されているため、単語を見ればギリギリ通じる程度には発音することが可能だ(それでもある程度の知識やコツは必要だが)。
歌うように感情豊かに話すには遠く及ばないかも知れないが、出来る範囲でベトナム語をさえずってみようと思っている。
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