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圧倒的カオスが広がる「ブッダ・パーク」は外せない | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】(5)

今朝はひどい二日酔いで一日があけました。11時ころのことです。 昨夜の宴では今後どのようにお金を稼いで生きていくかとか、西洋や韓国などの外国人による日本人感など、比較的ためになる会話がなされていました。 今夜は今夜で、同年代の区役所勤めの女性二人組と、これまでの恋愛経験についてであるとか、区役所の仕事はどうのとか、それはもうとりとめのない、それはもうくだらない会話をつまみにしてビラ・ラーオのグラスを傾けることになるのですが、それは後の話・・・。(ちなみに一人は世田谷区役所勤務で、区民としては頭が上がりませんでした)   今日はまず、フランスパン…

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ビエンチャンの薬草サウナとメコン川のビール | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】(4)

朝、寝台列車の軽やかな走行音で目覚め、トンネルを抜けるとそこは隣国ラオスでした。 大ウソです。実際には国境の手前で列車を降り、トゥクトゥクのオヤジとの泥臭い交渉の後、汗をかきかきようやくメコン川の橋を渡り、ラオスへと突入しました。 ところがところが。とんだトラブルがあったのです。当初、中国雲南省との国境の町まで訪れ、山岳民族と戯れるという壮大な計画を腹の中に収めていたのですが、なんとその町まで行くための航空券が週に三便しかなく、僕のスケジュールでは行くことができないことが明らかになったのです。行き当たりばったり過ぎ?何それ美味しいの? おかげで僕はアンコ…

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バンコク – 徒歩マニア | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】(3)

昨夜は結局ビールで初日を祝うことはできなかったのだ。なんとアルコール類の販売時間制限なるものがあり、0時以降は購入できないのだ。筆者は少なからずがっかりして宿へ戻ったのであった。無論、バーなどへ入ればありつけたのかも知れないが、そこまでするガッツ石松的な気力は無かった。 寝たのは3時くらいであったが、8時半頃さわやかに目が覚めた。旅行中というのは往々にしてこういうモノである。 今日はひたすら歩き続けた一日であった。行く道行く道全てを、タクシーやトゥクトゥクを使わずに歩こうと決心していたのである。今日だけで10キロ近く歩いただろう。そして三食センミーナーム…

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バンコク – 日本人女性に「ナナプラザホテル」を勧められる | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】(2)

飛行機で隣に座っていた三井君は奇遇にも筆者の大学の後輩で、しかも筆者のサークルと仲の良かったGというサークルに入っているというから、もうビックリだ。しかも住まいも世田谷の千歳○橋と、ご近所さんだ。そんなこともあるんだな、と。 ドンムアン空港へ降り立つのは確か6回目になるが、いつきても思うのは、「でかい」「さむい」。 100バーツのエアポートバスでカオサンへ(1バーツ:3.5円)。三井君はスクンヴィット通り方面なのでここでお別れだ。 宿(シングルルーム)はどこへ行っても満室で、630B/泊というゴージャストリプルならあるという宿のフロントで進退極まっている…

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出発前夜 | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】(1)

出発にあたって 明日から 約十日間にわたって 単身 ラオス ならびに タイ辺りへ赴くわけですが せっかく夏休みを費やして旅行に行くのに 無為に過ごしてはもったいないと思い いくつかの目標を胸に秘めて 旅立つことにしました まず 最初に降り立つタイでは ムエタイの選手と果敢に対決し 日本人らしく 相撲の張り手を駆使して 敵の尻を真っ二つに それはもう美しいほど真っ二つに割り 見事 勝利を収めたいと思います 次に向かうラオスという国は 今回が初めての訪問なので 最初のうちは ホフク前進で裏の路地を這い回り 慎重に様子を見ていくつもりですが 最終的には 全裸に…

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プロローグ | ラオス旅行記【メコンを渡れば、ラオス時間】

2002年に訪れたラオスという小さな国。 この国の名前を聞いて場所を思い起こせる日本人はどれほどいるだろう。 かく言う僕も、最初からラオスと言う国を目指していた訳では無いように思う。   タイの夜行列車に乗りたい。 そして朝目覚めると、目の前にメコン川と言う大河が広がっているらしい。 それを越えたところに美しい古都や寺院のある小さな国があるという。 それがたまたまラオスだった。 この旅の始まりはそんな事だったように思う。   この旅のお供には、ペンタックスのMZ-3という中古の小さな一眼レフカメラを選んだ。 お金が無かったのでトキナー…

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千年後の未来への遺産、それは造る事より、遺す事 | インド・カンボジア旅を振り返り思う、これからのSDGs的世界遺産

1か月弱に渡る初めての単独バックパック旅の記録が完結した。 学生が一人でインドからバンコクを経てカンボジアへ渡る旅、何だか大層な事をやってのけた様な気分になったものだが、アンコール・ワットやタージ・マハルの写真を見ながらそれらの千年に渡る歴史に思いを馳せてしまえば、筆者の旅など大海を彷徨うシラスが如く何ともちっぽけな話だ。 筆者の様なシラスの如きちっぽけな旅行者が世界の歴史から感銘を受けられる様に、それらの千年の偉業を保存する闘いが行われて来た。 千年前の偉業を遺す闘いは、偉大なる自然との闘いだった かつてアンコール王朝の王は自ら「宇宙の中心」たるバイヨ…

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紺碧と赤土のコントラスト – アンコール/バンテアイ・スレイの赤砂岩の奇跡とプノン・バケンの夕日

本シリーズは基本的に2000年当時の旅の手記をほぼそのまま転記してきたのだが、何と前回のトンレサップ湖の記事を最後にして手記が残っていなかった。帰国には一旦バンコクへ戻り、そこから東京へ向かったはずなので、数日間に渡り記録を残せなかったことになる。 恐らくインドにおける地獄のオレンジジュース事件以降の胃痛・腹痛(とおそらく発熱)による消耗が限界に達し、手記を残す気力も残っていなかったのだろう・・・ ということで、今回は「現在の筆者」による基本的な説明のみでお届けしたい。カンボジア旅行記の最後の記事なんだけどね・・・(笑) バンテアイ・スレイ遺跡はアンコー…