旅コラム/旅カメラ

海外一人旅の魅力 | 一人旅は出会いと日常を三倍充実させる

<![CDATA[「一人旅って寂しいんじゃないの?」
というのはよく問われる命題である。

しかしあえて言おう。

一人旅は寂しいものであると!!

などと言い切ってしまっては身も蓋もないが、実は「寂しさ」こそが一人旅の魅力を引き出してくれる最大の功労者であるという説を、メコン川のほとりでサイゴンビアを豪快に呷りつつ(という妄想をしつつ現実には居間でアサヒオフをチビチビ飲みながら)ぶちかましてたいと思う。

ベトナム ミトー メコン川

OLYMPUS E-M1MarkII (12mm, f/5.6, 1/60 sec, ISO320)
ベトナム・ミトーのメコン川沿いでのランチビール。一人でたいらげました(笑)

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ご注意:この記事ではノウハウ的な一人旅のメリット・デメリット成分は少なめ

最初に申し上げておくと、この記事でお伝えしたいのはタイトルの通り、一人旅における「心情」とそこから生まれる旅先での人々との出会いや日常生活への影響に着目した話である。
従って、所謂一人旅のメリットと言えばこんなところかも知れないが、こういう話をしようとしているのではない。

  • 行動や計画を制限されない
  • 食べ物や目的地について同行者に気を使わなくていい
  • 一人の時間が楽しめる
  • 何なら無駄にダラダラ過ごしたって文句言われない
  • 欲しい土産物を納得行くまで探せる
  • 撮りたい写真をとことん撮影できる

一方、デメリットとしては以下の様な感じかも知れないが、こうした話をしようとしているのでもない。

  • 食事や宿の割り勘が出来ない(単価が高く付く)
  • 感動をその場で共有できない
  • 自分に語学力がないと頼れる人がいない
  • 特に女性一人旅の場合、リスク増

こうした具体的なメリット・デメリットについては他に多くの優良な情報があるのでそちらにお任せしたい。
(などと言いつつ具体的なメリデメをこんなに沢山挙げたのは、この後の展開が上手く続くか不安になったので分量を増やす魂胆、というのは編集上の最重要機密である)

ラオス ビエンチャン ラオラーオ

ラオス、ビエンチャンにて伝説の密造酒「ラオ・ラーオ」をご相伴に預かる

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どんなに強がったって一人旅は基本寂しい

そりゃあもう旅立ちの瞬間は意気揚々たるものである。
成田だの関空だので出国手続きを終えた後に滑走路を眺めながら飲むビアーの美味いことよ。
往路の機内で「映画何本観れるかな〜♪」なんてお気楽な事を考えたりもするであろう。

しかしである。
旅先に到着して、空港からダウンタウンへ向かう車中で、あるいは一人食堂のテーブルに落ち着いた時に、必ず採る行動は何であろう。

とあるデータによれば、
単身旅行者の約85%が、SNSへの投稿か日本の知人へのLINEと回答しているらしい。
※注1: 嘘です。でも自分はとりあえず到着連絡したくなりますw
※注2: 筆者が学生時代に一人旅を始めた頃は「安宿街でインターネットカフェを探す」だったと言うのはここだけの話である。

つまりは、はたから見ていかにも楽しいぜリア充だぜアピール的な写真をシェアしたりしているが、要は人恋しいのである。
一人旅好きだって、一人では生きていけないのだ。
一人で居るのが好きでも、人が嫌いなわけではないのだ。

そして人恋しいが故に、一人旅の魅力を享受できるのだ、という本題に入っていきたいと思う。

ミャンマー マンダレー バガン 船

ミャンマー、マンダレーからバガンへの川下りでアメリカ人父子と仲良くなってウイスキーのコーラ割りをひたすら飲んだ。なお、筆者(向かって左)は今より大分スリムであった。

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一人旅の魅力①:貴重な出会いがわんさかやって来る

なおここで言う「出会い」とは特に男女の出会いの事を指しているのではなく、現地の人々や他の旅人達との出会いの事である(もちろんそこから恋愛に発展するケースもあり得るが)。
ではなぜ一人旅だと出会いが増えるのだろうか。

一人で旅をしていると何故かその辺の人に「話しかけたくなる」

筆者は根暗(ネクラ)という成分を樽で熟成させて出来たような性格であるため、出来ることであれば新しい人類との接触は避けて安寧に暮らしたいのであるが、なぜか一人旅をしているとその辺の人と話をしてみようという気になるから不思議である。これもある種人恋しさ故の心理と言えよう。
それに、いくらSNSやLINEが使えたって、こちらの都合だけで承認欲求を満たそうとすれば日本の皆さんに煙たがられてしまうので、話し相手を求めようとすれば必然的に周囲のリアルHuman Beingに接触せざるを得ない。
それは宿のおばちゃんかも知れないし、食堂で隣のテーブルに座った他国からの旅人かも知れない。
だが一方、「一人旅」というスタイルを採っている事から想像がつくように、自分から矢鱈と他人に話しかけるという事にはならない。むしろこちらから話しかけた経験は比較的少なかったように思う。ここで次の話が大事になってくる。

一人で旅をしていると矢鱈とその辺の人に「話しかけられる」

あれ?上と何が違うんだって?
そう、こちらは他の人から「話しかけられる」方の話だ。
やはり人は、大勢でワイワイしていたり恋人同士で仲良くしているところに割り込んで話しかけるのは気が引ける。一人ぽつねんとしている人に対しての方が話しかけやすいのではないだろうか(少なくとも筆者はそう)。
そして、それが海外だとさらに確率を増すような気がする。次のポイントだ。

人は一般的に外国人に対して優しくなれる

特段その様な調査結果がある訳ではないが、何となく間違っていないように思う。
不思議な心理だが、例えば近所を歩いていて外国人が困っているのを見ると(日本人の場合よりも)、妙に助けてあげたくなる。逆に自分が海外に居る場合には、オロオロしていると何故かその辺の人が声を掛けてくれる。
英語で言うところの「O・MO・TE・NA・SHI」という感情だろうか。
あるいは自分の国に対していい印象を持ってもらいたい、という思いもあるかも知れない。
そんな心理もあって、海外では赤の他人であっても会話が発生しやすく、とりわけこちらが一人旅の場合は更に声を掛けてもらえるケースが多いように思う。
もちろん例外もあるだろが、特に日本人に対しては多くの場合に当てはまるのではないだろうか。他国からの好感度に関する様々な調査で、日本はトップクラスの常連である(これは本当らしい)。

そんなこんなで本当に色々な人たちと繋がったものである。
スリランカの遺跡の前で連絡先を交換したレバノン人のカップル(レバノン人と話したのなんて後にも先にもこの時だけだな)。
インドのバラナシでシタールを習っていた日本人の青年。
ホーチミンからミトーへの路線バスで意気投合しその後もHCM出張の度にビールを飲みに行く仲になった地元の青年。
そう言えばスリランカの空港で会ったヘビメタ好きの女性もTwitterで繋がってるな。

などなど数え上げれば切りがない。
いずれも双方が複数で居たなら実現しなかった(会話が始まらなかった)かもしれない出会いばかりだ。

スリランカ キャンディ 小学校

CASIO COMPUTER CO.,LTD EX-P600 (11.3mm, f/4.4, 1/640 sec, ISO0)
スリランカ、キャンディ郊外の小学校で日本語を教えているボランティアの先生と出会い、一緒に教壇に立たせてもらった。

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一人旅の魅力②:家族・恋人・友人との日常が愛おしくなる

旅とは、一部の例外を除いて基本的に「非日常」の連続である。
故に旅人には必然的に、帰るべき場所、即ち「日常」が存在する。

一人で旅に出ると、一人で考える時間が増える。
そして、自ずと遠く離れた日本にいる大事な人達のことを考える機会が訪れる。
離れてみて初めて、家族、恋人、友人、同僚、そうした人たちがいかに心の支えになっていたのかに気付くのだ。
当たり前のように食べていた日本の食事がいかに得難いものだったかに気付くのだ(特に出汁の効いた味噌汁とか)。
それらは日常だけを過ごしていたなら見過ごしていたかもしれない感謝の念。

もちろん日常は良い事ばかりではないだろう。満員電車は嫌だ。反りの合わない上司もいるだろう。そこから逃げ出すように旅に出る場合も多いに違いない。
しかし少なくとも、何でもないと思っていた日常の中に温かい何かを見つけ出す事が出来たなら、それだけでも旅に出た価値はあるのではないだろうか。

ちなみにあるデータによれば、単身旅行者の約78%について、旅の終盤に差し掛かるとこのようなセリフが脳内再生されるとのことである(JETRO調べ)。

「ごめんよララァ、まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない。」

(嘘です)

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心情描写で見る海外一人旅の魅力:まとめ

一人旅で得られるものは数え上げれば夜が明けてしまうだろう。サイゴンビアが何本あったって足りないほどである(※注:実際今目の前にあるのはアサヒオフ)。
いずれにしても、残念ながら旅そのものは常に過去になってしまう。
そこで見たり撮影したりした美しい風景は、ネットの海を泳げば似たような物がいくつも見つかってしまう。
しかし、そこで出会った人々と自分との出会いは、他の誰のものでも無い自分だけの財産であり、旅が終わっても心の中に(あるいはリアルな関係として)残り続ける。
また、筆者と彼/彼女との会話を筆者はブログに記し、ここに訪れてくれた何人かの方にその国の風景の美しさだけでなく温かい人情と共に伝えることが出来るし、筆者と出会った彼/彼女も、どこかで日本人との楽しい思い出として誰かに語り伝えてくれているかも知れない。
そして再び一人旅に出かけ、日常を支えてくれる大切な人々への感謝の気持を新たにするという形で旅の余韻が続くとすれば、こんなに素晴らしいことはない。

さて、最後の写真もスリランカでの一枚である。ニゴンボのビーチを歩いていたら同年代の青年たちに「日本から来たのか?」と声を掛けられた。みんないつか日本で仕事をする事を夢見て勉強しているのだという。
彼らは最後に「We are Asian!!」と言って握手を求めてくれたのがとても印象深かった。だって、スリランカ人を前にして「We’re Asian!!」なんて言葉が思いつく日本人、一体何%いるだろう?筆者も「あっ、そうだよね!!」って目からウロコだったよ、正直。
もう10年以上前の話だが、彼らは今頃どこでどうしているだろうか、なんて事を思えるのも、出会いあってこそだと思うわけである。
スリランカ ニゴンボ ビーチ

タイトルの「三倍」って何だっけ。

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