ビエンチャンには一泊しかしない予定がいつのまにやら今日で3泊目、ダラダラと過ごしております。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
いつまでもこうしてはいられないということで、ついに明日、ルアンパバーンへと発つことが明らかになりました!明らかになりました、って、なんか日本語おかしいじゃねえか!とお思いになった賢人の諸君、そうです、今日も筆者は酔っております。
といっても本日の筆者はひたすら一人でありました。本当なら今日発のルアンパバーン行きの便に乗りたかったのですが、明日以降しかあいていなかったため、もう一日この住み慣れた街に居座ることになったため、さてどうしようということで、市内の名所や寺をひたすら歩き回ることにしたのです。痩せるためならどんな犠牲でも投げ打って、という精神が僕を突き動かしました(といいつつ毎晩のように飲みふけっているのはどういうわけだ!と疑いをお持ちの賢人の方、そうです。半ばあきらめております)。
歩くだけといいつつ、楽しいこともいろいろあるのです。今日は合計で5、6キロほど歩きましたが、その途中の寺で若い僧侶達と仲良くなり、他愛も無い会話をしていました。面白かったのは、最後に「写真を撮らせてくれ」と言った時に、彼らが一斉に「おぉ、おぉ、マジか」といった風情でオレンジの袈裟を掛け直すなど、おもむろに身なりを整えはじめたことです。僧侶というと、「おう。どっからでも撮りなさい」といった悟りの深さを見せてくれると思いきや、まだ20歳~23歳くらいだという彼らはそのような微笑ましいところも垣間見せてくれました。
正午を挟んで延々と歩き続けたため、市街地に戻った僕は市場でセンミーナームを食すと、「ああ、ぢがれだ。こりゃ、シャワっこさ浴びて、一眠りだなや」などとつぶやきながら安らかに昼寝を始めたのでした。
陽も傾きはじめた5時過ぎに目覚めた僕は、メコンのほとりをテクテクと歩きまわり、小さな屋台でビアラーオを頼んだのでした。
言葉とか若者達について
例えば今日会った僧侶なんかは日本の学生なんかに比べてとてもまじめに勉強しているので、英語がとても上手です。
ラオスに限らずこのあたりのアジアの国々では、学生を始め若い人ほど英語が話せます。(同じ年代の日本の若者を横に並べたら恥ずかしい、っていうくらいちゃんと話せます。)
例の薬草サウナなんかにもそういう若いラオス人がいて、彼らを通訳代わりにしてその場の集団とコミュニケーションをとります。
彼ら若い世代には「いつか日本に行きたい」なんていう希望を口にする人が大勢いますが、そういうことが希望として挙げられるということ自体に、彼らの飽くなき向上心とアジアの未来を感じます。
[2002年9月26日]
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