今日は新疆ウイグル自治区に別れを告げる日である。ウルムチ空港から北京へと向かう。いよいよ旅の終わりが近づいてきた。しかし、この国は最後の最後まで筆者の常識をひっくり返すべく、驚愕のフルコースを振舞う手を緩めることは無かった。
ともあれ、12時半頃ウルムチ空港到着。とりあえず空港のレストランで「牛肉面」を食す。これが何気なく美味であった。相方と、「これまでで一番美味いのでは」という嬉しいような悲しいようなコメントを交わしあう。
やがて、突然隣の席の中国人客が筆者のテーブルの灰皿を無言で取っていく。まあ・・・使ってないから問題は無いのだが・・・。
驚愕!中国の国内フライト事情
ウルムチ→北京の便は18時半発。激しく暇だったので、仕方なく「新疆ウイグル自治区博物館」へ暇つぶしに出かける。
その後ウルムチ空港に到着、北京行きの便に搭乗するのだが、最後の驚愕のエンターテイメントが幕を開けるのはここからである。日本人の常識では考えられないような様々なスペクタクルの中でも、特に筆者の琴線に触れた超人的な中国航空事情について記録しておきたい。
ファーストクラスの上客を片手間であしらう空港係員
筆者がウルムチのチェックインカウンターで手続きをしていると、空いたカウンターに白人男性がファーストクラスラウンジの場所を尋ねにやってきた。バックパックを背負った筆者たちとは明らかに住む世界が異なりそうな身なりである。
しかし、そのハイソなファーストクラスの彼に対し係員は、その方を見もせずに隣のカウンターを指差すのである。仕方なく白人が隣のカウンターに声を掛けると、今度はその係員は英語が理解できないらしく、白人に謝りもせず元のカウンターの係員に中国語で何か怒鳴りつける始末。その後ややあってようやく別の係員が対応、何とか案内が成立した模様。中国ではファーストクラスもエコノミークラスも、はたまた、その辺の知らないオッサンも、全て同じ扱いらしい。共産主義というのはこういう事なのであろうか(たぶん違う)。
搭乗ゲートで大量の「ナン」を販売
搭乗ゲートの待合場所に、突然、大量の「ナン(ウイグルパン)」をカートに乗せて運ぶ売り子が登場した。そのナン、大きさは特大のピザくらいはあろうか。一体飛行機に乗る間際に誰があんな馬鹿デカいナンなど買うのだろうと見ていると、買う買う中国人。一人あたり3枚くらい、次々に売れていく。
しかもそのタイミングがまた絶妙で、搭乗開始してゲートに行列が出来てからの売れ行きがもっとも激しいときている。筆者の前に並んでいた人々が次々に購入していくので、売り子も筆者らの方に近づいて、「当然あんたらも買うんだろ?」的な感じで売りつけてくる。危うく「これが無いと飛行機に乗れないのか」と錯覚して買ってしまいそうになるが、何とか回避した次第である。
乗客に紛れて「ナン」を購入して飛行機に乗り込むパイロット
上記の「ナン祭り」にはさらに驚天動地の出来事が続く。ゲートの方を見ていると、機内からゲートを通って待合室に現れたパイロットと思しき男性がナンの売り子の方に近づいて行く。どうしたんだろうと思って見ていると、ナンを2枚ほど購入するではないか。
「ああそうか、さっきこの機体でウルムチに到着した便のパイロットが仕事を終えて一息つきに来たのか。きっとそうに違いない」と自らを安堵させていると、その直後、最も恐れていた光景が目の前に繰り広げられた。
何とそのパイロットは2枚のナンを持って踵を返し、これから筆者達が乗ろうとしている機体に戻っていくではないか。その後筆飛行機のコクピットで何が行われたのかは皆まで語るまい。
搭乗ゲートでは合成音声の「謝々」
さて、ここで日本や欧米、東南アジアの搭乗ゲートを想像して頂きたい。それらの国では航空会社の係員がチケットの半券を乗客に手渡しながら、「いってらっしゃいませ」「Have a nice trip」「コップクーンカー」などの温かい言葉が投げかけられるであろう。ここウルムチの空港も例に漏れず、搭乗ゲートに並んでいると、前方から「謝々」という女性の声が聞こえてくる。
しかし列が前に進むに従い、次第に違和感を覚えてくる。どう見ても係員の口元が微動だにしていないのである。さらに前に進むと、真実が明らかになった。
なんと、チケットを読み取る自動改札機から、連続的に合成音声で、「謝々」「謝々」「謝々」が連呼されているではないか。社会主義国が近代化するとこういうことになってしまうのか。いや、ある意味少子高齢化が進む日本こそ手本とすべき生産性向上の策なのかもしれない。
機内は立ち話で社交
舞台を機内に移そう。筆者はこれほど多くの(キャビンアテンダント以外の)人間が立っている機内の光景を見たことが無い。
そういえば中国以外の路線でも、中国系の乗客が立ち話をしている姿をよく見かける気がするが、今回は90%以上が中国人である。比較にならない。中国国内線の機内の光景を目にすると、一瞬、もう着陸したのかと錯覚してしまう。もちろん、「気流が乱れておりますので云々」の機内アナウンス程度では全く動じる気配すら見られない。
常時点灯するシートベルト着用サインと、常時シートベルトをしない乗客
ところで、周りを見渡してもシートベルトをしている中国人はほぼ皆無である。
ではシートベルト着用サインはどうなっているのかというと、何と中国の航空機のシートベルトサインは、離陸から着陸まで常時点灯しているのである。よく言えば常時警戒体制であるが、悪く言えばいつシートベルトを締めれば良いのか全く分からない。そのためかどうかは分からないが、離着陸時にも関わらず常に乗客はトイレに向かう。
着陸直前に行われる救命胴衣と酸素マスクの説明
流石に中国式フライトの驚愕のオンパレードにも慣れたかと思う頃、さらにダメ押しのような驚愕の出来事が起こった。それは離陸から2時間半ほどが経ち間もなく着陸という時分の事である。
突然乗務員が立ってパントマイムのようなことを始めたので、何のことかと思って見ていると、なんとこの期に及んで救急救命胴衣や酸素マスクの説明を始めたらしい。
酸素マスクや救命胴衣というのは主に飛行中の不測の事態に使用するものだと思っていたが、上で触れた通りこれだけ不測の事態が連続して発生する有様では、酸素マスクなどいくら準備しても無駄であるような気がしなくもない(いやしない)。
このように、中国国内におけるフライト事情には興味深いものが少なくない。国際線ではさすがにそのようなことは無いと思うが、もし国内線に搭乗する機会があれば刮目してご注目いただきたい。
新疆ウイグルよ、また会う日まで
ともあれ、いよいよこの旅も終着点が近づいてきた。最後の夜に北京のホテルで啤酒を飲みながら細君と旅を振り返る。
中国とはいったい何なのだろうか。アジアに限れば、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、様々な国を訪れたが、中国ほど特異だと感じた国は無かったように思う。
他のアジアの国々の輪郭が、どこかソフトな、周囲との共通性を維持しつつ緩やかな境界線を持つようなイメージだとすれば、中国のそれはとてもソリッドなイメージである。もとい、漢民族の、とした方が正しいかもしれない。
アジアの中にあって、漢民族だけが他と混じらずに(例え、文化・経済的交流があったとしても)守ってきた独自の民族性・価値観を持っているように感じる。一種の誇りの高さと言っても良いかも知れない。(そしてそれは中国国内の少数民族の方も漢民族に対して同じ様に持っているものなのかも知れない。)
もちろん、たかだか10日間程度の旅で何が分かるというものでもないが、とにかく印象として東南アジア・南アジアの国々で感じるものとは何かが違ったのだ。それが何なのかが分かる日は訪れないかも知れない。
そして、共産党政権によるウイグル族への弾圧が激しくなっていく事に忸怩たる思いであるが、再びこの新疆ウイグルの地を訪れる日がやってくる事を願って止まない。
CASIO COMPUTER CO.,LTD EX-P600 (7.1mm, f/4, 1/60 sec, ISO0)
(2006年9月16~17日)
以上で「敦煌・カシュガル旅行記【国境のカオスが好きだ。】」は完結です。世界のどこかでまたお会いしましょう。
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