こんにちは。ベトナム駐在生活が始まり間もなく3ヶ月になる10max(@10max)です。
筆者に遅れて家族がベトナムにやってきて1週間が経ちローカル飯屋での乾杯デビューを果たした翌日の8月21日、家族でホーチミン市内の統一会堂(Independence Palace)と戦争証跡博物館(War Remnants Museum)を訪れました。
これらはベトナム戦争やサイゴンの歴史を知るための1丁目1番地とも言える場所ですが、ではなぜベトナムにやって来た家族を連れて最初に訪れるスポットとしてこれらを選んだのか。
一つには、サイゴンという地はベトナム戦争を抜きには語れない・・・というのは勝手なステレオタイプかも知れませんが、子供達には、せっかくこの国に住むのだからこの地の歴史を知っておいて貰いたいという事がありました。
そしてもう一つは、ベトナム戦争を知ることが、「戦争というものは一体誰が何のためにやっているのか」という深淵なお題について子供達が考える一つのきっかけになるのではないか、という事でした。
訪問前に「サイゴン陥落」の記録映像を鑑賞する
統一会堂や戦争証跡博物館と切っても切れないのがベトナム戦争でありサイゴン陥落、ということで、事前にこんな動画を家族で鑑賞しました。
何やら昭和のゴジラ的特撮映画ようなテロップにいきなり吹き出しそうになりますが、この映像を記録して編集したNHK特派員の面々は大真面目だったはずです。吹き出してごめん(本当に吹き出したのかよ!)。
映像では、アメリカが支持する南ベトナムの首都サイゴンの市民が、「敵国」である解放戦線(共産圏が支持する北ベトナム)の行軍を手を振って迎えるという複雑な状況を目にします。
つまり、この戦争がいかに「ベトナム人のための戦争では無かった」かということを象徴する映像なのですが、小中学生である子供達にはまだその全容を理解するのは難しいかも知れません。ただ、少しでもその「アンニュイさ(≒違和感)」を事前に感じた上で統一会堂や戦争証跡博物館といった施設を見学することで、少しでも多くの事を学び取ってくれるのではないかと期待した訳です。
統一会堂 – サイゴン陥落の象徴
統一会堂(Independence Palace)は旧南ベトナムにおける大統領官邸でした。
1975年4月30日、北ベトナムの戦車がレユアン通りを真っ直ぐに進軍し、この旧大統領官邸の鉄柵を突破して無血入城を果たした瞬間にサイゴンが陥落、ベトナム戦争は終結しました。そうした歴史上の事実から、この統一会堂はサイゴン陥落の象徴とも言えます。
旧大統領官邸という事で、内部には閣僚会議の部屋や戦時の作戦立案室、通信室から、映画室や娯楽室、迎賓や社交のための部屋などもあり、煌びやかさと戦時の緊迫感が隣り合わせた独特の空気感を醸し出しています。
最上階は展望台になっています。個人的には統一会堂においてここが最も訪れたかったハイライトでした。
SONY ILCE-7C (28mm, f/7.1, 1/160 sec, ISO100)
なぜここを訪れたかったかと言うと、ここからレユアン通りを一望できるからです。
このレユアン通りを解放戦線の戦車や兵士が行軍し、大統領官邸を無血で占拠した光景を想像します。その北ベトナム軍の行軍を、手を振り笑顔で迎えるサイゴン市民達の姿をこの景色に重ね合わせます。
そうしていると、あたかも自身が半世紀前の重要な歴史の目撃者になったかのような想いに駆られます。
統一会堂のマップ
戦争証跡博物館 – 誰が為の戦争か
次に戦争証跡博物館へ向かいます。統一会堂から徒歩で5分ほどの場所にあります。
個人的にはこの戦争証跡博物館は統一会堂よりも更に印象的でした。とにかく展示が生々しく、手加減を加えてこないのです。
ともあれ敷地に入ります。まずは当時の戦車や戦闘機が出迎えます。まあこちらはウォーミングアップといったところです。
SONY ILCE-7C (34mm, f/3.2, 1/60 sec, ISO100)
SONY ILCE-7C (28mm, f/4, 1/200 sec, ISO100)
戦車や戦闘機は当時の傷を残しており、ただの飾り物ではないことを物語っています。
SONY ILCE-7C (42mm, f/3.2, 1/100 sec, ISO100)
SONY ILCE-7C (28mm, f/5.6, 1/30 sec, ISO250)
空爆に使われたと思われる爆弾類が展示されていました。こんな大きな物体が空から落ちてきたと思うとゾッとします。しかも中には爆薬やらなんやらが大量に詰まっているのです。
SONY ILCE-7C (28mm, f/5.6, 1/30 sec, ISO250)
いよいよ展示室に入ります。本番はこれからです。
最初に目に飛び込んでくるのはこの「GIs FOR PEACE」の写真。米軍関係者が軍隊内で行ったベトナム戦争反対のデモの様子です。
SONY ILCE-7C (28mm, f/2.8, 1/30 sec, ISO500)
ベトナム戦争がベトナムのためのものでは無いことは当然として、米国の、さらに米軍の中でこのような反対運動が起こっていたという事実に、一体誰による誰のための戦争だったのか、というやり切れない想いが胸中に渦巻きます。それはベトナム戦争に限らず戦争という愚行一般に対するものでもあったように思います。
更に進むと日本における反対運動の記録が展示されていました。
SONY ILCE-7C (28mm, f/2.8, 1/30 sec, ISO125)
SONY ILCE-7C (37mm, f/3.2, 1/40 sec, ISO100)
「ベトナム侵略」という言葉に、強国達のパワーゲームの犠牲となったベトナムの人々の無念を思います。
その先にはヨーロッパ諸国における反対運動の記録。ほんの一部を除き世界中誰一人としてこの戦争を支持する人は居なかったのではないかと思います。それは昨今のロシアの狂気の指導者によるウクライナ侵略を思い起こさせます。
SONY ILCE-7C (28mm, f/2.8, 1/30 sec, ISO160)
展示はいよいよ生々しさを増していきます。
戦火の犠牲になった人々の、何のオブラートにも包まれない生々しい状態の写真が展示されています。
SONY ILCE-7C (28mm, f/2.8, 1/30 sec, ISO400)
特に酷い思いにさせられたのは、枯葉剤の後遺症で奇形などの身体への影響を受けた人々や、結合双生児などの写真でした。モザイクなどもないありのままの姿に、想像はしていたものの、大きな衝撃を受けます。
正直なところこの博物館へ来る前は、子供達はすぐに飽きてしまうのでは・・・とも思っていたのですが、あまりのリアルな展示に少なからずショックを受けたのか、長い時間をかけて展示に見入っていました。
SONY ILCE-7C (67mm, f/4, 1/80 sec, ISO1600)
展示の中には、日本人写真家沢田教一氏による「安全への逃避」と題した、ピュリッツァー賞を受賞した写真がありました。「自国のため」という大義すら無い中で生死の淵を彷徨う母子の気持ちは計り知れません。しかし、「自国のため」という大義すら一部のプロパガンダによる暴走であった太平洋戦争を思い起こすと、大義の有無など関係なく戦争は悲惨なものだと思い直します。
SONY ILCE-7C (45mm, f/4, 1/50 sec, ISO500)
様々な国籍の人々が立ち止まってこの写真を見ていました。日本人は日本人なりの、そしてそれぞれの国の人々はそれぞれの戦争の歴史を思い返しながら、様々な思いを胸中を駆け巡らせるのでしょう。
SONY ILCE-7C (28mm, f/4, 1/30 sec, ISO640)
こちらは映画の主人公としても知られる戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏のカメラ。このカメラが銃弾から一ノ瀬氏の命を守ってくれました。
SONY ILCE-7C (35mm, f/4, 1/40 sec, ISO500)
そうした彼らの決死の覚悟により、後世の人々に戦争の悲惨さが語り伝えられます。
SONY ILCE-7C (28mm, f/2.8, 1/200 sec, ISO800)
戦争証跡博物館のマップ
さいごに
この日の感想を子供達に訊いてみました。すると中2の長男は
「そういうのは人に話すもんじゃないんだよ」
などとくっそ生意気な台詞を放ちました(笑)
まあ彼は生来口下手なのですが、気持ちは分かります。大人でさえベトナム戦争の事を安易に語ることは憚られるのに、ましてや思春期の彼にはこれほど口幅ったいテーマは無いでしょう。
このベトナムという異国の地において、この日子供達が見たことや感じたことが、彼らの心の小さな引き出しに仕舞われて、それがいつの日か小さな花を咲かせる糧になれば良いなと思います。
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