先日長男がホーチミン日本人学校の中学部を卒業しました。昨年の次男の小学部卒業に続いて2度目のベトナムでの卒業式です。
ホーチミン日本人学校は小〜中学校一貫なので、昨年は中2の長男が在校生として小6の次男を送り出し、今年は中1の次男が中3の長男を送り出した格好です。在校生の歌う「旅立ちの日に」、そして卒業生の歌う「さくら」に、表面張力が限界を迎えます。この力は鍛えようがないんですかね。年々緩くなっていくばかりです。
とにかく、兄弟が力を合わせて編み上げた、本当に素晴らしい卒業式でした(親バカで申し訳ない)。
それとほぼ時を同じくしてこの週末、子供達と細君が日本に本帰国しました。家族でのベトナム生活からの卒業でもあります。
SONY ILCE-7C (59mm, f/4, 1/250 sec, ISO100)
子供達はこれから少しずつ親の手を離れ、様々な「選択」をしながら人生を積み重ねて行きます。
進学や就職、あるいは結婚など、様々な場面で思い悩むことでしょう。
そうした選択においてはぜひ、「後で振り返って後悔しないかどうか」「未来において、この世界線を選んで良かったと思えるかどうか」を大事にして貰いたいなと思っています。
「こうあるべき」だとか「みんながそうしてるから」ではなく、自分の性格だったら、どの道を選べば未来の自分の笑顔が思い浮かぶかな、などと考えてみる。
人は未来を見つめながら生きる生き物です。未来があるから頑張れるし、情熱が湧くし、今が苦しくても希望が持てるし、失敗したとしてもまた次にチャレンジ出来る。人間は未来がなくては生きられない生き物です。
未来の自分を想像して、自分が、そして自分の大切な人達が笑顔になれそうな世界線を手繰り寄せながら、過去や今だけを見て失望しすぎる事無く、焦らずに歩んで欲しい。
ところで、2年ほど前に僕たち家族は、ある大きな「選択」をしました。
「そのまま日本で暮らす」という世界線と、「家族でベトナム生活に挑戦してみる」という世界線のどちらを選ぶか、という選択です。
子供達も既に思春期を迎えており、それはまあまあ難しい判断でした。単なる転校ですらハードルが高い年頃なのに、まして国を渡ってしまってはそう簡単には引き返せない。
数ヶ月の間、家族で話し合いながら、時には涙ありの、我が家にとって非常に大きな決断でした。
今、その家族でのベトナム生活を振り返ってみて、
果たして2年前の「選択」は正しかったのでしょうか?
あの日僕たちは、正しい世界線を選んだのでしょうか?
その答えは、もう少し辛抱強く待つ必要があります。
過去の選択の答えは、未来の子供達が出してくれます。
過去だの未来だの世界線だの、タイムリープもののアニメのようなややこしい話になって来ましたが、その前にもう少し目の前のお話をしておきましょう。
2年前、僕達夫婦はとにかく、ただただ子供達がベトナムでも無事に学校生活を送ってくれることを願っていました。
しかし大変幸運なことに、それは杞憂に終わりました。少なくともこのベトナムでの2年弱、おかげさまで子供達は無事に学校生活を送る事が出来ました。
その意味では、ひとまずは良かった、と言うことは出来るでしょう。
しかし、それは終わりではなく、スタート地点に過ぎません。
先日、親が子供にしてあげられるのは、視野を広げる助けになるインプットを与えることだけで、アウトプット(将来の選択)については子供達に委ねるしかない、というお話を綴りました。
そして中学から高校に上がるこの時期は、親からのインプット量よりも、それらに影響を受けつつも自らのアウトプット量が増えていく移行期(≒親離れ期)なんじゃあないか、という事も記しました。
つまり、この2年弱のベトナムでの生活というインプットを日本に持ち帰り、自分の意思による選択を積み重ねていくのは、まさにこれからなのです。
ベトナムでの生活で感じたこと、考えたこと。日本の良さとベトナムの良さ、両者の違い。アジア、そして世界の広さと、自分が帰る場所。
そうしたごちゃ混ぜは、今はまだ子供達の中で形を成していないかも知れません。ベトナムでの2年弱が彼らの今後の選択に影響を及ぼすのはもっと先、あるいは気づかないほどの曖昧な影響しか与えないかも知れません
でもいつの日か、ふとした時にそれらが小さな像を結ぶ日がやって来るかも知れません。それによって子供達が何かしら自分なりの幸せを見つけてくれた時に僕は、僕達家族は、初めて
「あの時家族でベトナムに渡る世界線を選んでよかった」
と思えるのではないでしょうか。
つまり、2年前の「家族でベトナムへ渡るという選択が正しかったかどうか」は、「そのインプットを受けて、未来の子供達が積み重ねていく選択の結果によって、初めて答えが出る」ような気がするのです。
家族本帰国の当日。不思議なことに、夕方頃までは「これで家族でのベトナム生活が終わる」という実感が殆ど無かったのですが、アパートを出る直前になって急にその実感が沸き起こり、卒業式から3日しか経っていないのに再び表面張力との闘いが訪れました。それまで気丈に振る舞っていた細君も鼻をすすり始めます。
そして、タンソンニャット国際空港のイミグレーションカウンターを挟んで、家族と大きく手を振って別れた後、しばらくは何を考えればいいのか分からず(あるいは考えるのが恐ろしくなり)、先ほどまで家族で暮らしていたアパートの部屋に戻った瞬間に、その表現不能な感情はピークに達します。
「今にもこの部屋にあの人が帰って来そうなのに、もう二度と来る事はないんだ・・・」
こりゃほぼ失恋モードじゃないか〜〜〜!!!
その後、この曲が脳内でヘビロテしたのは言うまでもありません。
♪上着の襟が立ってるわ
♪自分でちゃんと直すのよ 今日からは
※ついでに記しておくと、谷村新司やアリスの楽曲は筆者の両親からのインプットです。
いやまあ、またすぐに会えるんですけどね。でも「二度と戻れない1つの時代が終わってしまったな」という感慨は堪らなく切ないもので、この段落をキーボードで打っているだけで涙腺の表面張力のチートが必要になります(しかもBGMに谷村先生と小川先生の激唱)。
しかし、1つの時代が終わっても、必ず別の楽しみがやって来る、あるいは、見出そうと思えば見出だせる、ということを、これまでの経験で学んできました。子供達との時間は常に一期一会でプライスレスですから。
もう今から、単身用の新居のあるエリアのローカル飯探索計画や、連休の一人旅の計画、一時帰国時の子供達とのキャンプやスキーの目論見、家族のベトナムへの呼び寄せ時の旅行計画など、欲張りすぎて大変です。
仕事で赴任しているのに何をお気楽な、と思われるかも知れませんが、これくらいの未来を夢見させてもらわないと、僕はこの国で単身で生きていく事が出来ません。人は未来が無いと生きていけない生き物なのです。
そう言えば、空港に向かう前に、日本人学校で長男が最も仲良くしていた友達の1人が見送りに来てくれました。
彼らが2人で肩を抱きながら、
「また会おうな」
「次は東京で会おうな」
などと別れを惜しんでいる姿を見て、先程の「果たして2年前の「選択」は正しかったのでしょうか?」という問いに対して、少なくとも今の時点では間違っていなかったのかな、と思いました。
このホーチミンという街で大切な友に出会い、彼らにとってホーチミンという街が忘れられない街になったんだろうな、と、違う意味で表面張力が緩んだものです。
Apple iPhone 15 Pro (6.86mm, f/1.8, 1/100 sec, ISO200)
さて、とにもかくにも家族でのベトナム生活はここで一旦完結し、次のステージに向かいます。
この度、長男と同様に高校進学を控えて日本に帰国することになったサイゴンっ子達は少なくありません。縁あって日本中からサイゴンの空の下に導かれ、そしてまたそれぞれの場所へ進んでいく彼ら彼女らは、いずれ日本のどこかで、あるいは再びサイゴンの地にて再会する日がやってくるかも知れません。
それまでに皆、どんな成長を遂げているのか、今から楽しみです。ピッコロ大魔王を倒した後3年ぶりの再会で急にイケメンになった孫悟空が脳裏をよぎります。
ベトナム生活を卒業した皆さん・・・いや、いつかまた戻ってくるかも知れないので、「第一次ベトナム生活」を卒業した皆さん、改めて、卒業おめでとう。
最後に、異国の慣れない環境で生活を支えてくれた細君に、本当に感謝です。日々スーパーや市場に通い、よく分からないベトナムの食材で子供達の舌に合う食事や弁当を作ってくれるなど、神業です。時には路線バスで遠い市場や店に出向き、よく分からない物資を仕入れてきたりと、地味に意外な逞しさと順応を見せてくれました。
子供達が新しい生活環境に馴染めたのも、そうした細君の安定感に依るところが大きいはずです。そして僕にとっては、細君との晩酌が何よりの心の拠り所でした。
とは言え帰国後は、難しい年頃の男子2人をワンオペで支えるストレスは並大抵ではないでしょうから、出来る限り支えになりたいと思っています。今こそあの伝説の「オンライン飲み会」を細君と定期開催しようと画策しています。
今年も、少し散りかけのサイゴンの桜、モモイロノウゼンが、僕たちの新しい生活を見送ってくれています。
僕たちが選んだ世界線は、きっと希望に満ちています。
SONY ILCE-7C (129mm, f/5, 1/200 sec, ISO160)
(その後のお話↓)
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