3週間ほどに渡り、北インド〜バンコク〜カンボジアを訪れました。
2000年の冬のことです。
人生で最初の単独バックパック旅は、思っていたよりも大きく、そして小説で読んだのと同じくらい、自分のその後の人生に影響を与えることになりました。
そんな旅の後半、カンボジアはアンコール・ワット編です。
以下、2000年当時の手記をほぼそのまま本ブログ向けに起こしたものです。記載内容は当時の手記そのものであるため情報は当時のものであると共に、筆者が学生だった頃の稚拙な文章であることを差し引いてご笑覧頂ければ幸いです。
アンコール遺跡群観光の拠点となる小さな町、シェム・リアップに到着。
抜けるような青空と南国風情が一気に目の前に広がる。ここは今回の旅行で最も赤道に近い町。
この青と赤のコントラストはインドには無かったものだ。僕はインド亜大陸からインドシナ半島へやって来たのだ。
そして客引き等がほとんど居らず非常に長閑だ。インドやバンコクでの喧騒が遥か遠く感じられる。
バラナシの地獄のオレンジジュースで崩した体調は相変わらずだが、精神的には癒されそうである。
写真はこの町のメインストリート、「シヴォタ通り」。
まずは胃の腑を満たすため、シヴォタ通りで見つけた小さな食堂へ入る。
タイで言う「センミーナーム」に似た、スープ入りの麺。有名な「クイティウ」というものかどうかは分からないが、あっさりした魚醤系のスープに米から作った細麺。具は野菜とシーフード。
これを毎日食べていれば長生きできそうである。そしてビール腹は見る見る引っ込んでいくに違いない。
ふぃ~、美味かった。
この食堂で、15歳の少女と仲良くなった。
ところでこの町では、特にこういう地味な食堂では殆ど英語が通じない。この少女は今学校で英語を学んでいるらしく、身振り手振りや筆談、そして「地球の歩き方」に書いてあるクメール語を交えながら、何とかコミュニケーションができる程度。
でもこれが最高に楽しいのである!こういう田舎町で、お互い一生懸命になって言いたいことを伝え合い、そして気づかないうちに昔からの友達のように仲良くなってしまう。これが旅の妙というもの。
食堂を出て再び南国の空の下をブラつく。
この長閑な町にも、多少はこうしたアンコール観光を意識したモニュメント的なものが見られる。
カメラを向けると可愛らしい少年がポーズをとってくれた。仏像にお線香を上げていたようだ。ここに暮らす人たちの日課なのだろうか。
お寺では男たちがお経を唱えながら楽器を奏でていた。
マーケットへと続くシェムリアップの中心部。
YAMAHA製のレトロな単気筒バイク。
日本で販売してくれないかな。いや、むしろ日本から来たものなのかも知れない。
ここは中学校の広場。子供たちがバレーボールをしていた。しかし、この学校に通えるのも、子供たちのうち何割かに過ぎないのである。
子供たちがこちらに気づいたようだ。
そしてこちらに駆け寄ってきた。
日が暮れた。再びシヴォタ通りで食堂に入り、スープ入りの麺を食す。
3歳になるという店の子供の写真を撮ると、彼はフラッシュの光に怯えてしまった。家族が笑顔で彼をあやしながら筆者に笑いかけてくれた。「気にするな」と言ってくれているのだろう。
本日のお宿
インドからの胃痛腹痛持ち越しのため記録なし・・・
本日の出費
ゲストハウス:6$
3日間分のバイクタクシー:20$
他記録なし
[2000年12月4日]
※本連載は西暦2000年のインド〜カンボジアバックパック旅の手記を本ブログ向けに起こしたものです。記載内容は当時の手記そのものであるため情報は当時のものであると共に、筆者が学生だった頃の稚拙な文章であることを差し引いてご笑覧頂ければ幸いです。
紺碧と赤土のコントラスト – アンコール・ワット 記事一覧

インド二千年の旅
この旅の前半、インド編はこちらから御覧ください。

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