最後の夜はいつも・・・
そう、アジアで旅行をする場合、バンコクを経由するケースが非常に多いため、最終夜はたいていバンコクで迎えることになります。
ありがたいことに、この街は日本も顔負けなくらいとてもにぎやかな街なので、旅の最後を盛り上げるのに最高の場所になっています。
バンコクから始まり、バンコクで幕を閉じる、そんな流れが、アジア、特にメコンエリアを訪れる日本のバックパッカーにとっての一つのパターンになっている様な気もします。
さて、今日の昼間ですが、12時頃バンコクのドン・ムアン空港に到着し、午後半日暇だったので、アユタヤーに赴きました。アユタヤーというとタイの一大有名観光地。そのように気軽に訪れる場所なのか?とも思われるやもしれませんが、一度訪れた町であるのに加え、距離的には空港から列車で1時間、狭い日本で言っても、東京から横浜あたりへ行くような感覚です。列車の代金なんて2等や3等なら100円くらいですからね。
遺跡と市街地がごちゃ混ぜの奇妙な町、アユタヤーは、3年前に本山という友人と訪れた時とあまり変わってはいませんでしたが、一つだけはっきり変っていた場所がありました。
当時我々は、ひたすら町を歩きながらその途中、某学校のテニスコートを眺めていたのですが、今日そのことをふと思い出してそのテニスコートへ行ってみると、当時黒ずんでぼろぼろだったコートが、それはもうきれいに整備されたハードコートに生まれ変わっていたのです。当時のようにぼおっと眺めていたら、また招き入れられそうになったので、これはいかんと蒼々たる面持ちでそこを離れました。
かつて訪れた町をこうして再び徘徊すると、何やら懐かしいことがたくさんあるものです。
復路の便はユナイテッドの明朝7時発。とっても中途半端な時間に飛び立ってくれるものです。というわけでしばらく繁華街でビアーでも補給して、夜中には空港へ戻ってベンチで寝るつもりです。
爆音流れるバーでパーッと飲んでみるのも一興かとも思いましたが、どうも今の心情にそぐわない気がしたため辞しておきました。
ああ、最後の夜は何を食おうか、センミーナームではちと寂しいので、最後くらい他の食事のことを考えてみようかと思います。
さて、出発時から最大の関心事であった、痩身化計画についてですが、結論としては、
「旅行するくらいで痩せられるくらいだったら警察はいらない」
といったところでしょうか。
では。
[2002年9月30日]
以上で2002年のラオス旅行記は終幕となります。お付き合い頂きありがとうございました。
なお、ラオスとの縁はこれで終わりではありません。次回もお楽しみに。
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