チィガァが寝坊をした。
6時45分ヤーキンターホテル前待ち合せて空港まで送ってもらう約束であったが、55分になっても登場しない。
焦りを見せ始めたホテルの青年がオートバイで彼の家まで様子を見に行く。彼の家はホテルから車で5分くらいのマーケットの周辺だときいている。
程なくチィガァが合掌しながら登場する。
彼とのドライブの最後のテープはミャンマーの伝統音楽である。日本で言うところの歌謡曲のようなものだろうか。
渋谷駅南口の公衆トイレを少し大きくしたような建物のバガン空港に到着。チィガァと握手を交わし 公衆トイレ系の空港施設へ向かう。
一応空港は軍の施設なので軍服を来たオッサン達がいるが、ただダラダラとだべっているだけである。
ヤンゴン行きのはずの飛行機は衝撃の地へ
ヤンゴン行きの飛行機に乗ったはずだった。
しかし、離陸30分後、致命的なことに飛行機はヤンゴンとは正反対のマンダレー空港に到着したのである。
筆者は努めて焦らないようにした。バガン空港できちんとスタッフに確認したはずだ。これはヤンゴン行きか、と。
これは筆者のミスではない。空港のミスだ。ちゃんと説明すれば、次のヤンゴン行きにタダで乗せてくれるはずだ。
筆者は冷静を装ってヤンゴンエアウェイのスタッフに事情を説明する。
すると驚いたことに、瞬時に帰ってきた答えは
「マンダレーからヤンゴンまでのチケットを買いなおすしかない」
これは驚きである。即答である。少しはオフィスと掛けあってくれもよいではないか。
しつこく交渉していると、やがて若干年配の職員が出てきたが、やはり言うことは同じ。
それでも筆者が駄々をこねていると、一人の若い知的な顔立ちのミャンマー人が登場。筆者が彼に事情を話すと 筆者と次のような問答である。
知的人 「あなたはマンダレーに寄っていきたいのか?」
筆 者 「とんでもない すぐにでもヤンゴンへ行きたい」
知的人 「なるほど、じゃあ問題ない。今乗ってきたこの飛行機にもう一度乗って30分程待っていればよい」
筆 者 「なんと。それはどういうことだ」
知的人 「スタッフの彼は、あなたがマンダレーの町に寄っていこうとしていると思っているのだろう。そうではなく、空港を出ずにそのままヤンゴンへ行くのなら問題ない」
筆 者 「むむっ。まさか、今マンダレーにいるのは、単なるトランジットであったのか」
知的人 「その通りだ」
なんということであろうか。筆者は大いなる勘違いをして無駄に論争を巻き起こしていたのである。これは日本国民の恥である。
しかし筆者にも言い訳がないでもない。
まず、筆者はこの飛行機がヤンゴンへ行く前に違う空港を経由していくなどということを全く聞いていなかったのである(ホテルで取ったためであるが)。
しかもバガンとヤンゴンとはせいぜい300km程度。そのような近距離で他空港を経由する飛行機など乗ったことがない。
まあそれはいいとしてもだ。なんと驚くべきことに、バガンから見てマンダレーはヤンゴンとは正反対の方向にあるのである。そんな町を経由するというフライトスケジュールを誰が予想しうるであろうか。
まあ筆者はまだまだ飛行機経験が豊富でないので、他にそのような例を知っている方もいるかもしれない。しかしあまりにもマニアックではないか。
そんなこんなで、筆者は無事ヤンゴンの街に降り立つことができたのである。知的人、ありがとう。
SONY CYBERSHOT (6.1mm, f/8, 1/490 sec, ISO100)
抱きしめたくなる好青年のタクシーでヤンゴンの日本人墓地へ
ヤンゴンでは一泊の予定である。前回と同じ ビューティランドホテル2に滞在することにした。今回は12ドルで、前回は無かったテレビと冷蔵庫がついている。ただテレビはなぜか中国の放送しか入らない。
前回苦労して発見した食堂でモヒンガーを食し、タクシーで日本人墓地へ向かうことに。日本人墓地は、太平洋戦争の激戦地であったミャンマーで亡くなった約19万人の戦没者の慰霊碑などがある場所である。
そのタクシーの運転手の青年が非常に良い人柄であった。言ってみれば、抱きしめたい感じの青年である。
抱きしめられたほうは良い迷惑だと思われるので抱きしめなかったが、筆者の方から往復で7ドルという若干いい値段を提示して払ってしまった。この辺りにも、筆者が聖人に近づいているという証が見てとれる。
ホテルに戻った後、ヤンゴン市は停電を幾度となく繰り返す。そのたびに筆者は仙人のようにベッドに横たわり扇風機が復活するのを待つ。恐らく普段より暑かったために電力需要が超過していたのであろう。
夕方5時を過ぎた頃、ボーヂョーアウンサンマーケットへ土産物を漁りに出かけるが、なんとすでにマーケット内の店々はすでに閉店ぎみであり、筆者は泣く泣くホテルへ戻り、夕食時まで再びゴロゴロすることに。
マトン・ブレイド・カリー
夕食はダヌピューというビルマ料理の店へ訪れた。地球の歩き方には「評判の良い純ビルマ料理の店」などと記載されていたが、結論から言うと、冷めていたり固かったりで、全く美味くなかった。
ところで そのダヌピューで
「マトン・ブレイド・カリー」
なる聞きなれないカレーのメニューがあり、興味をそそられて注文したのだが、出てきたものは、丸い形や適度のしわ、そして豆腐のような柔らかさから判断して、まさに羊の脳味噌に違いない。
要は「ブレイド=ブレイン」だったのである。
もちろん出されたからには食べねば日本人の恥なので、柔らかい歯ざわりを堪能しながら完食したが、その後すぐに普通のポークカリーで口直しを行った次第である。
「これが脳味噌の食感なのか!」
というマニアックな感動は、できれば一人で寂しく噛みしめたくない種類のものである。
しかし筆者としたことが写真の一枚も撮らなかったのは、「脳みそを食す」というマニアックな状況によほど動転していたのかも知れない。
ホテルに帰ると電灯や扇風機は動いていたが、エアコンはまだ動いていなかった。
寝苦しい夜にならねば良いが、と願いつつ、とりあえずミャンマービールをいただこうか。
何しろ明日でミャンマーともお別れである。
[2003.9.30]


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