1年前の8月13日に妻子がホーチミンに渡ってきて以来、家族4人でのベトナム駐在生活1周年を迎えた10max(@10max)です。
今宵は家族で居酒屋に行き、渡越1周年祝い(兼次男の13歳の誕生日祝い)をして来まして、少々酔いどれつつ思うところを綴りたいと思います。
一言で言えば、とにかく無事に1年が過ぎて良かったな、と言う感じです。
どうでも良い感想過ぎてアゴが180度くらい開いて閉じなくなりそうですが、突き詰めればそんな感じなのです。外れたアゴは無理に治そうとせず病院で診てもらって下さいm(_ _)m
まずは何よりベトナム生活を楽しんでくれて良かった
赴任前はとにかく勇壮なる決断の上に家族での渡越を決めたものです。
14〜12歳(渡越当時)という絶賛思春期キャンペーン中の男子2名にとっては、転校するだけでも相当なリスクが伴うのに、ましてや海外移住ともなると簡単に後戻り出来る訳もなく、ラスベガスで1千万ベトナムドンくらい投じるほどの賭けでした。
「やらずに後悔よりやって後悔」
なんてカッコつけて言う分には簡単ですが、もし不登校にでもなったら家族から10年くらい恨まれ兼ねない状況。まあそうなっても長い目で見れば何かしら得るものはあるでしょうから、「後悔」はしないでしょうけど・・・
しかし、子供達は逞しかった。2人ともすぐにクラスに馴染み、友達が出来ました。「皆日本のどこかから異国に集まってきて、また帰っていく」という日本人学校特有の懐の深さにも助けられたのかも知れません。
数ヶ月もすると、長男の方は友達と勝手に約束をして遊びに出掛けるようになりました。昨日も、友達とLINEでやり取りして外へ飛び出していき、SUKIYAだかBOTEJUだかで一緒に晩飯を食べて一人でGrabで帰ってきました。
次男は小学校卒業を日本人学校で迎え、こちらで出来た大切な友人たちとの別れを惜しみました。
また、巧みな洗脳活動 英才教育の甲斐もあって、風呂椅子のローカルベト飯屋も当たり前のように攻められるようになりました。ベトナムおよびアジア各地への家族での旅行も毎回非常に楽しんでくれています。
彼らも、細かいところでは「日本の方がいいな〜」と思うところはあるようですが、総じて、問題なくベトナム生活を楽しんでくれています。
言ってみれば、恐れていた「リスク」の面については杞憂に終わりそうです。
生のベトナムに触れさせるのは簡単ではない
では、ベトナムで生活することによる「プラスアルファ」の部分はどうか。
「ベトナムで生活する」という言葉は、少なからずいい意味での刺激感を醸し出すのではないでしょうか。所謂「異文化に触れる」というやつです。
ベトナムと日本とでは、食文化や宗教観など似ている部分もある一方で、それ以上にギャップも大きく、例えば細君の周りには、筆者宅が家族でベトナム赴任生活を始めると聞いて
「えっ!単身赴任じゃないの?ついて行って大丈夫なの?」
などと大いに心配してくれた知人も居たようです。
しかし、何ということでしょう。実際には、特に子供達にとっては、「生のベトナム」に触れ、日本との違いを感じ取って貰うのは想像以上に難しいのです。
子供にとっての自由度が低いベトナム
その大きな要因の一つとして、ベトナム生活は子供達にとっては自由に行動できる範囲が限られる、と言うことが挙げられそうです。
治安が悪い、という事ではありません。ベトナムはアジアでも屈指の治安の良さを誇るため、中学生くらいになれば親同伴無しで出掛ける事自体はあまり問題ありません(時間帯やエリアに注意する必要はあるものの)。
問題は、メトロのような公共交通機関が無いこと、カオスな道路交通事情、そして、そもそも子供達が遊びたいと思う娯楽施設や公園が少ないこと、です。
そのため、まず小学生以下の場合は親の同伴無しで出掛けさせる事が難しいですし、そもそも子供にとっても遊ぶ場所のバリエーションが少ないので飽きてしまいます。中学生の長男も、出掛けるのはアパートの周りか、ショッピングモールのボーリングやカラオケ、たまにトランポリンなどのアスレチック施設、くらいです。
その辺りは以前下記の記事でも、子供達の不満点として挙げています。
更に、周りの子供達も、小さい頃からベトナムに住んでいると子供達だけで遊びに行くという習慣が無いため、積極的に外に遊びに行こうという友達自体が少ない、という事もあるようです(その点、我が家の場合は小学校高学年までを日本で過ごし、そうした習慣が当たり前になっているので、ベトナムでは友達を誘い出す側に回っている模様)。
で、話を戻すと、アパートと学校の往復だけでは生のベトナムに触れる機会は殆ど無いため、自分でガンガン街に出て行動するのが一番なのですが、そうした機会はかなり限定的にならざるを得ないのです。
まあ、この事は予め想定していたので、積極的に子供達に洗脳活動 ベトナムローカル市場との触れ合いの機会を設けて来たんですけどね。
当たり前だけど英語なんて使う場面が無い
ちょっと話は逸れますが、そんな環境なので「使える英語力の習得」という点も殆ど期待出来ません。
もちろん日本人学校では日本の公立中学校・小学校よりも英会話の時間は多いですし、それとは別に英会話スクールにも通わせていますが、それでは実際の英語力は付きません。自分が英語で何かを伝えなければいけない状況に置かれて、その時に必要な語彙を引っ張り出して、ブロークンでもいいから最低限の文に組み立てる、というプロセスを多く経験する必要があります。ですが、上で書いた通り、学校とアパートとの往復以外の自由行動が限られる環境ではそんな機会は殆どありません。
この点も同様に赴任前から分かっていたことですけどね。いずれにしても大事なのは、将来子供達が「自分が英語で何かを伝えなければいけない状況に置かれ」た時のための基礎を身に着けておく事だと思っています。
なお、インターナショナル・スクールに通っていれば当然話は全く変わる訳ですが、小学校高学年以上での転校&海外移住ではリスクが大きすぎたのと、中学校でインターに通ってしまうと、日本のカリキュラムとの差が大きすぎて、日本への復帰時に困る、という問題もありました。
何より、筆者自身、そうしたリスクをとるほど(ガチンコの)英語力に重きを置いておらず、この後触れる通り、子供達にはもっと別の事を持ち帰って欲しいと思っていたのです。
ベトナム、そしてアジアを自分の庭だと思って欲しい
ベトナム駐在の話が出るずっと前から、もし家族を海外に連れてくるとした場合に一貫して考えていた事があります。
それは「子供達に、ベトナム、そしてアジアを自分の庭であり、第二のホームだ、と感じるようになって欲しい」ということです。
彼らが将来、どういう仕事に就くにしても、どういう趣味を持つにしても、その舞台の一つとしてベトナムやアジア(もっと言えば日本の海の向こうの全ての場所)を身近な選択肢として自然に考えてくれたらいいな、と言う話。
人が獲得するスキルや資産に「ハードウエア的なもの」と「ソフトウエア的なもの」の2種類があるとすれば、これはソフトウエア的なもの(逆に、英語力やプログラミングスキルなどはハードウエア的なもの)。
これらは鶏と卵みたいなもので、よくある例えで言うと、「海外に興味を持たなければ英語力なんて有っても無駄」とも言えるし「海外に興味を持った時に英語力が無かったら困る」とも言えます。
筆者はどちらかと言えば、「スポーツ選手になる」などの極端な能力を除けば、ハードウエア的なスキルはその気になれば何歳になってもある程度は追いつけると思っていて、それよりも「俺ベトナムなら知ってるし」「アジアならやっていけそうな気がするし」「これアジアでやってみようかな」っていう発想を自然に持てるユニークな体験(=ソフトウエア的資産)の方が価値があるんじゃないかと思ってるんですよね。
少し話が回り道をしましたが、そう考えると、結局家族でのベトナム生活にとって何が一番大事かと言うと、「ベトナム生活、まあまあ楽しかったな(少なくとも嫌な思い出じゃない)」って言う柔らかい印象を持って日本に帰ってもらう事なんじゃないかな、と。なので冒頭の通りアゴが外れそうなどうでも良い感想になる訳です。
先日長男とサシで飲みながら語ったところによると、彼は既にホーチミンが異国というよりも第2の家だと捉えているようです(その後次男含め男三人で語った際に、次男も同じ事を言ってました)。それだけと言えばそれだけなのですが、この経験が将来どういう化学反応を生み出してくれるのか、楽しみです。
さて、家族がベトナムに来て1周年、なんて書いたそばから、実は来年3月には家族は本帰国する予定なので、家族でのベトナム生活も残すところ既に8ヶ月を切りました。そう考えると本当に短いですが、一方10代にとっての2年弱というのは非常に濃く長い時間でしょうから、少しでも多くの貴重な体験を重ねさせてあげたいと思っています。
ということで(どういうことだ)、久々に日本酒を頂きましたよ。
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