今回は少々風変わりなネタ、「国旗」のお話です。
筆者はどちらかと言えば政治への関心も低く、右も左も上も下も無く、旅とビールにしか関心のないポンコツ界隈です。なのでお恥ずかしい話、「国旗」というものについて、今まで殆ど無関心でした(実際、それが日本人の国旗に対する一般的な国民感情なんだとか)。
ところが、ベトナムという国に4年近く住んでいるうちに、少しずつ「国旗」というものを意識するようになりました。そして、ベトナムで感じると日本人との国旗に対する如実な温度差の理由は何だろう?とか、子供の頃祝日に掲げられていた日の丸はいつからどうして見かけなくなったんだろう?などと思うのです。
以下は、ベトナムで初めて国旗に関心を持った右も左もない意識低い系が、レポート提出期限に追われた大学生の如くWikipediaやChatGPT先生に教えてもらいつつ調べただけの、知っている人にとっては当たり前のお話です。この手のお話に詳しいパイセン方は、生ぬるい目で離脱して頂けると幸いです。
SONY ILCE-7C (111mm, f/4.5, 1/400 sec, ISO200)
ベトナムはいわゆる国旗厨の国です(失礼)。この国で国旗を目にしない日はまずありません。ちょっとした路地の上空に、ローカルベト飯屋の軒下に、挙げ句の果ては愛車のボディや缶ビールのデザインモチーフにまで、赤地に黄色い星の鮮やかなベトナム国旗が常にひらめいています。
「金星紅旗」と呼ばれるベトナム国旗に彩られたこの国の風景は実に美しいです。それは目に映る景色として美しいのみに留まらず、この国の人々の国旗に対する誇りを無意識に感じ取るからかも知れません。
もちろん、ベトナムは共産党一党体制による社会主義国家なので、ベトナムマンセー的忠誠アピール(あるいは心理的強制)という側面もゼロではないと思いますが、どうもそれは主な理由ではなさそうなのです。
どうもベトナムの人々は、この国旗に対して、誇りや情熱といった感情を自発的に持っているように感じるのです。
そうでなければ愛車のボンネットに国旗をペイントしたりしないでしょう(笑)
さて、振り返って我らが日本。
昭和後期生まれの筆者は、子供の頃は正月や祝日に町中で日の丸が掲げられているのを見かけた記憶がありますが、今日ではとんと見かけないような気がします。ベトナムは少々極端ですが、比べるとやはり少し淋しい気はします。
ではベトナムの様子を見て、
「ベトナムでは皆堂々と国旗を掲げているんだから日本でも同じようにすればいいだろう!」
という気持ちになるかと言うと、そう単純には思えない「複雑な感情」を、筆者のような大多数の日本人が日の丸に対して持っているように感じます。
こうした自国の国旗に対する温度感の差は、一体どこから来ているのだろう?
日本で国旗を押し出し過ぎると政治色が出るのに、ベトナムで国旗が町中でひらめいている様子にはなぜ純粋に誇らしさを連想するのだろう?
そうした疑問を解く鍵の一つには、ベトナムと日本の国旗の成り立ちの違いがありそうです。
ベトナムの現在の金星紅旗が初めて登場したのは、1941年、フランスからの独立を目指すベトミンが団体旗として採用した時です。厳密にはその後星の形が微妙に変わりますが、基本的にはこのデザインがその後、植民地支配からの独立を果たした北ベトナム(ベトナム民主共和国)、そしてベトナム戦争後の南北統一により爆誕した現在のベトナム社会主義共和国の国旗へと受け継がれます。
そのような成り立ちから独立と自由の象徴とされるベトナム国旗ですが、その捉え方は細かくは南北や年齢層で異なるようです。1945年の「植民地支配からの解放と独立国家建国の象徴」というのは南北関係なく共通していますが、1975年のベトナム戦争後の「北ベトナムによる南ベトナム解放の象徴」という感覚は南部の人は持っていません。
・・・という辺りの南北の複雑な違いも、ベトナム戦争を経験していない40代以下においては薄まってきている、という年齢層による違いもあったり、本当に複雑です。
いずれにしても、ベトナム国旗の象徴するところは、実に純粋にポジティブなものと言えますし、何ならベトナム人以外から見ても喜ばしい歴史的経緯です(後述の通り日本は複雑な立場ですが)。
なお、ベトナムの国旗は中国の国旗とよく似ていますが、中国の今の五星紅旗が登場したのは1949年なので、ベトナム国旗の方がパイセンです。
SONY ILCE-7C (95mm, f/4.5, 1/100 sec, ISO250)
一方、日本の国旗(日章旗)。日の丸の意匠自体は大化の改新頃まで遡ると言われているそうですが、国として正式に初めて使われたのは、1854年の江戸幕府による日米親和条約調印後、外国船と区別する標識として日本国惣船印に採用された際で、その後いろいろありましたが(適当)何だかんだ言って今日までずっと国旗として使われています。

咸臨丸(1861年頃) 画像出典:Wikipedia
実は大戦後の主要な枢軸国3国(独伊日)の中で、国旗を変えなかったのは日本だけなんですね。ドイツはナチスの解体に伴うナチス旗の廃止、イタリアはファシズムとの決別および王政廃止に伴うサヴォイア家の紋章の廃止を、それぞれ戦後に実施したそうです。
一方の日本は、GHQによる期間限定の国旗掲揚の禁止指示、という、軍国主義との明確な決別を伴わない中途半端な形をとりました。もしかすると日本の場合、国旗が政治体制と直接関係がなかった(日の丸は天皇制と同様、国の象徴であり特定の政治団体や王家のものではない)ために、廃止するほどの明確な理由が無かったという事かも知れません(知らんけど)。
GHQは、この後さらに事をややこしくしてくれます。教育面での軍国主義からの脱却を旗印に(国旗だけに)、日本教職員組合(日教組)の結成を指示します。そして流れ上、日教組が掲げる教育方針においても当然「国旗掲揚=軍国主義」という構図になります。その後、この日教組の左傾化が進み、逆に生みの親のGHQから警戒、監視対象にされるという皮肉な結果を生みました。
これが現在まで続く、国旗掲揚推進へのスタンスが政治思想とリンクする構図の源流なのでしょうね。2000年前後の自民党政権による日章旗・君が代の法制化と、その強制に対する日教組の強烈な反発、教員自殺事件などは薄っすらと記憶に残っています。
と、ここで、上で触れたように子供の頃(1990年代まで)は祝日に国旗を目にしたのに、いつの間にか見かけなくなったのは、2000年前後のこのゴタゴタが背景にあったんだろうな、という事にも思い至ります。
つまり雑にまとめると、
- 戦後GHQが日章旗掲揚を中途半端に禁止
- GHQが日教組組成、そこでも日の丸=軍国主義と教える
- GHQが日教組を左翼関連団体として警戒
- 結果日の丸が右翼・左翼の政治思想ネタと化す
という流れかと。GHQめ、散々かきまわしてくれやがって・・・という感じです。
そういえば、最近同年代くらいの友人たちとビアサイゴンを飲んでいた際に、ある方の小学校時代には国旗掲揚が無かった、という話が出てびっくりしたんですね。聞いてみると、どうもその方は北海道出身で、北海道は日教組の影響力が最も強い地域の一つだから国旗掲揚が無かったのだろう、という話になりました(筆者は影響の弱い愛知県出身なので普通にやってた)。全然知らんかったので、「へぇぇ!おもしろ」ってなりましたね。
ということで、ベトナムの国旗が植民地支配からの自由・独立の象徴という純粋にポジティブな印象を持つ一方で、日本では軍国主義的マイナスイメージを残したまま日の丸が継続され、その後政争の具になってしまった・・・というのが両国の国旗への温度感の差の、ざっくりとした背景、ということになるかと思います。
ところで、ベトナムに住んでいることでもう一点、日の丸を掲げることに積極的になれない理由があります。それは、ベトナムの国旗が象徴するところの「植民地支配からの独立」には、日本軍支配からの独立という側面もあることですね。
まあここは実に複雑で、仏印に進駐した日本軍がフランス軍の武装解除を行い、最後の最後の数カ月は日本軍が(阮朝のバオダイ帝を擁立して)実質的にベトナムを占領していた・・・ところで日本がポツダム宣言で敗戦、からの、本来の宗主国であるフランスが戻ってくる前にホーチミンおじさんが機敏に独立宣言した・・・という非常に複雑な歴史です。
いずれにしても、日の丸を背負って一時的に仏印を占領していた日本軍の敗戦によりベトナムが独立した、という経緯上、ベトナムに関わる者としては別の理由で日の丸に複雑な感情を持つわけです。
ちなみに日本の敗戦後、ベトナムに残って南北戦争におけるベトナム統一に貢献した残留日本兵の話も大変興味深いです。少し長編ですが、こちらの小説でそうした残留日本兵の戦いや感情がつぶさに描かれていて、非常に面白いです。

ということで(どういうことだ)、何にしてもこういう歴史を知るというのは面白いですね。
今回調べた内容を考えると、日の丸が思想のリトマス試験紙のようになってしまっている状態では、日本人が(オリンピックなんかのスポーツなどの枠内以外で)ナチュラルに日の丸を掲げられる時代は、まあ中々訪れないんだろうな、と思いました。
こんな経緯を知ると、なんだか「エスカレーターで片側空けてしまう心理」を思い出します。みんな心のなかでは「別に自分右翼とか国粋主義とかじゃないし普通に国旗掲げたらいいじゃんと思うけど、でも国旗掲げてたら周りからどう思われるか分からんし自分からやるのはやめとこ・・・」という感じ。
ただ、下のように国際的な友好の証として並ぶ日の丸は嬉しいし、誇らしいですね(ホーチミンメトロ1号線は日本の協力で開通しました)。
おはチミン🇻🇳
ホーチミンで(ずっと)建設中のメトロの駅、ベトナムと日本の国旗が並んで掲げられてるのは嬉しい😄(開通したらもっと嬉しいw)今週も折り返し、適度に頑張りましょ〜٩( ‘ω’ )و pic.twitter.com/dBxJ359zZy
— 10max🇻🇳 | 旅とベトナム (@10max) October 4, 2022
国旗に対して全くの無関心だった自分が、自国とその象徴である国旗を愛する民族の国で暮らすことで、国旗というものに関心を持てたのは幸運でした。
誇りを持つ人々を見るのは、気持ちの良いものです。
Apple iPhone 15 Pro (6.7649998656528mm, f/1.8, 1/50 sec, ISO50)







