本シリーズは基本的に2000年当時の旅の手記をほぼそのまま転記してきたのだが、何と前回のトンレサップ湖の記事を最後にして手記が残っていなかった。帰国には一旦バンコクへ戻り、そこから東京へ向かったはずなので、数日間に渡り記録を残せなかったことになる。
恐らくインドにおける地獄のオレンジジュース事件以降の胃痛・腹痛(とおそらく発熱)による消耗が限界に達し、手記を残す気力も残っていなかったのだろう・・・
ということで、今回は「現在の筆者」による基本的な説明のみでお届けしたい。カンボジア旅行記の最後の記事なんだけどね・・・(笑)
バンテアイ・スレイ遺跡はアンコール・ワットから30kmほど離れた場所に位置する。この日の移動のお供も、「自称20歳の少年」キムのバイクタクシーだ。
アンコール・ワット周辺の遺跡と少し趣を異にするのは、素材に赤砂岩が用いられているためだ。
バンテアイは砦、スレイは女、つまり「女の砦」という名称が後世になって与えられたのは、その遺跡が持つ美しいデヴァダー像のためだ。アプサラが天女であり、デヴァダーはアプサラを取り巻く女官たち、という事になる。
バンテアイ・スレイではこれらの彫刻が非常に精巧かつ良い保存状態で多数残されており、遺跡は「アンコール美術の至宝」、デヴァダーたちは「東洋のモナ・リザ」などと評されているようだ。
などと東洋のモナ・リザを堪能していたら突如オッサンの像が現れた。ボディ・ガードもしくは門番だろうか。
遺跡で戯れる僧侶と少年少女たち。
ここからアンコール・ワット方面へ戻りがてら、「プノン・バケン」という遺跡に立ち寄る。
家の手伝いをする少女。
プノン・バケンはアンコールワットから1.5kmほどのところにある小高い山の上の遺跡で、アンコール・ワットを見下ろせる夕日スポットとして多少有名なようだ。
少年の僧侶がいい笑顔を見せてくれた。
遺跡以外には森しか見えない。
アンコール遺跡の〆に相応しい夕日を観る事が出来た。この旅の終わりも近い。
本日のお宿
インドからの胃痛腹痛持ち越しのため記録なし・・・
本日の出費
インドからの胃痛腹痛持ち越しのため記録なし・・・
[2000年12月6日]
赤土の記憶 – アンコール・ワット 記事一覧

インド二千年の旅
この旅の前半、インド編はこちらから御覧ください。

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