アンコールの大地に夕陽が沈んでいく。
2023年から2024年への年越しは家族と共にカンボジアで迎えている。
「期待と不安が入り混じる」という使い古された表現がある。
ちょうど2年前、豪雪の志賀高原で迎えた2021年末はまさに「期待と不安がぐちゃぐちゃに入り混じる」大晦日だった。家族でのベトナム生活という新しい世界線に踏み出すかどうかで、文字通り家じゅうが大いに揺れていたのだ。
その1年後、ムイネーで迎えた2022年末は、一転して平穏な心境だった。家族とのベトナム生活という新しい試みは既に軌道に乗っていたし、2023年には大きな変化は予見していなかった。つまり、「不安」という感情とは凡そ無縁だった。
しかし、2023年には実りも多かった。幸いにも家族のベトナム生活が無事にスタートし、軌道に乗った1年だったからこそ、家族で色々な挑戦が出来たというものだ。
とりわけ、家族の始まりの地であるビエンチャンを子供達と再訪するという、18年間温め続けた大計画を実現する事が出来たのは印象深い。
そして子供達には、サイゴンの街で大切な友達が出来た。次男は小学校の卒業をこの街で迎え、友人たちとの別れを惜しんだ。長男は来年3月の中学校卒業を控え、出来るだけ多くの時間を友人たちと会う事に振り分けている。彼らにとっては、ベトナムは単なる一時的な仮住まいではなく、既に「第2のホーム」になっていたのだ。
しかしふと忘れそうになる事がある。
筆者たち家族がベトナムという異邦で無事平穏に暮らすことが出来ているのは、公私に渡り本当に様々な方々に支えて下さっているが故の賜物であるということだ。本来異邦で新しい生活を始め、軌道に乗せるというのは、実に艱難辛苦を伴うものであろう。
そして今、来たる2024年を見据え、再び「期待と不安が入り混じる」大晦日を迎えている。3月には子供の進学の関係で家族が日本に本帰国するため、筆者はベトナムでの単身赴任を開始する事になる。
これは赴任する前からほぼ決まっていた事だ。思えばベトナム赴任が決まった瞬間から、「自分はいつ日本に帰れるのか」ということばかり考えていたというのが正直なところだ。
本ブログ(及び兄弟ブログのOUTMOBIL)をご覧下さっている方は大方お察し頂ける通り、筆者の価値観の中心には家族があるため、果たして2024年、寂し死にした筆者はベトジェットの日本行きチケットのセール情報ばかり眺めながら暮らしているかも知れない。
一方、不安に入り混じった期待も確実に存在する。
ひとつは、「旅」に関するものだ。
この2年弱の旅は「自分が知っている(あるいは勝手の想像できる)場所へ家族をアテンドする旅」という要素が大きかった。しかしこれからは、基本的に一人旅なのでより妄想を膨らませることが出来る。ホーチミンだけでなく、シーサンパンナなどで飲み会をする計画も既に検討が始まっている。
もうひとつは、ホーチミン生活に関するもの。
週末などの余暇を家族と過ごすことにほぼ全振りしてきたこれまでの状況が変わるため、変化が訪れるかも知れない。自由時間が増え、ライフワークであるローカル飯屋やマニア向けスポットの開拓がヒートアップするかも知れない。交友関係においても、人を無駄に飲みに誘いまくるキャラに180度転換するかも知れない(予めお詫び申し上げます)。
とにもかくにも、「ベトナム」と「家族」というキーワードを中心に、生活基盤に関する不確定要素の波が1年おきにやって来るという、割と変化の激しい不惑の半ばである。
この不確実の波を、如何にして自分の手で少しでも楽しい方向に向けていくか、2024年の妄想計画に余念がない。
そして、引き続き陰に陽に様々な方々のお世話になることは間違いない。
シェムリアップの街は深夜のカウントダウンを控えて活況を呈している。とりわけパブストリートではステージ上のDJが爆音を演出している。
個人的に大音量は得意では無いので、少し外れの静かなクメール料理の名店で遠鳴りの四つ打ちを聴きながら、アンコールビアと共に過ぎし一年と来たる新年を眺めている。
本年も大変お世話になりました。
新年が皆にとって良い一年となります様に。
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